音声獲得に関連する実験の例

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1.心理学、動物行動学で共有される考え方

言語獲得に関する心理学実験を一例紹介したいと思います。紹介する実験はその根底の考え方が、心理学だけではなく、最近の動物行動学の実験においても共有されています。その前提とは、馴れていないものには素早く、または長く反応する、というものです。

2.実験の仮説

実験はたいてい、先に考えた仮説があって、その実証のために行うものです。この実験の前に立てられた仮説は次のようなものです。

仮説1/r/と/d/は調音点が近く言い誤りが多いことから聞きわけが難しい。それに比べ/r/と/h/は調音点の違いが大きく聞きわけが容易である。
仮説2母語の母音を獲得する直前の生後5カ月、理解できる単語が少しずつ現れ始める9カ月、ある程度の発話が可能になる15カ月では、弁別能力に違いがある。

3.実験

3.1 実験方法

このページで紹介する実験は「馴化スイッチ法」と呼ばれているそうです。ざっと実験をまとめると、次の通りです。

  • 格子縞模様を写すディスプレイの後ろのスピーカーから「ラマク、ラマク、ラマク…」と流すと、子どもはそのディスプレイをじっと見つめる。試行を何度も繰り返すうちに子どもは馴れてきて画面を見る時間が減るので、今度は違う音の「ダマク」「ハマク」等の音声を聞かせると、音の弁別ができているならば、驚いてディスプレイを注視する時間が回復する。よって有意に注視時間が長くなった音声は、「ラマク」と弁別がついている。

もうちょっと詳しく説明すると下の手順となります。

  1. 実験の状況:ディスプレイの前で、子どもは母親の膝に座ってディスプレイの正面にいる。ディスプレイの下にビデオカメラがあり、ディスプレイの後ろにスピーカーがある。
  2. 試行:「ラマク、ラマク、ラマク…」と1種類の音声が繰り返し呈示される。1試行は14秒間。
  3. ディスプレイの後ろから音声が聞こえるので、子どもはディスプレイを見る。子どもがディスプレイを見ている間は音声に注意を傾けていると解釈して、14秒間中の注視時間を記録する。
  4. 2の試行を何度も繰り返すと、音声に飽きてきて画面を見る時間が短くなっていく。その飽きる時点がきたところで準備を終了し、最後3試行の平均をベースラインとする。
  5. その後、基準語に使った「ラマク」、1音のみ異なるテスト語の「ダマク」、「ハマク」、全ての子音が異なる統制語の「ワサズ」で上記と同様の試行を行い、ディスプレイを注視する時間を比較する。

3.2 期待する結果

2節の仮説1を実証してくれる実験結果は図1(a)のような形で、もし図1(b)のようになってしまうと、仮説1は不適当だったと判断せざるをえません。

仮説通りになって欲しいというバイアスにより観察結果が歪められてしまうという事態が起こりかねなくて、その危険性を排除するために、機械的に注視時間を記録しておくという方法が取り入れられていたりします。一見遠回りに見える方法、もっと詳細に直接観察すればよいのに、と思える方法が取られているわけで、その理由がここにあります。バイアスにより歪められてしまうというのは本当によくあることで、どの分野の実験でもバイアスを取り除くための工夫がされているはずです(自分が所属した情報処理分野でも行われていました)。それともう一つ、できるだけ自然科学的手法を導入したい、つまり数量化して示したいという理由もあります。

3.3 実験結果

著書に載っている実験結果は図2となります。

図2の結果の著者による解釈は次のようなものです。

  • 1.「ワサズ」と「ハマク」についてはすべての月齢群で注意が復活した。
  • 2.月齢間に差が見られたのは、「ダマク」であった。
  • 3.5カ月群においては、注意が復活した子どもの割合は「ハマク」で約70%、「ダマク」で約60%であった。
  • 4.以上より、発音上の区別が難しい/r/と/d/のミニマルペアの方が、区別のやさしい/r/と/h/のペアよりも、単語内での知覚はやや遅いと考えられる。また9カ月、15カ月になれば区別の難しい「ラマク」と「ダマク」の聞きわけも可能と考えられる。

正直、著者による解釈に問題があるように思えます。一見、図2からは「ハマク」も「ダマク」も弁別がついているように見えますが、上のように解釈されているのは、おそらく統計検定の結果、優位水準5%で帰無仮説を棄却できなかったためでしょう。5%という値に特別の意味があるわけではないので、統計検定ではそのあたりの考慮も必要だったりするのですが、いったんここでは置いておきます。

参照ページ:統計的仮説検定

問題は3の注意が復活した子どもの割合が突然入って来てることで、本来は実験設定の段階で図2と統合的に判断する旨を記述しておいて考察しないといけません。それと2について、図2を見る限りでは「ダマク」と「ハマク」の差がちょっとしか見えないので、そんな判断をしてよいのかわからないし、統計的に言えるというなら、その数値を示す必要があります。そしてこれらの問題含みの解釈をもとに、4の解釈をするのは無理があります。

3.4 実験結果を解釈しなおす

図2に対して、統計検定などは考慮せず、グラフの形状だけで判断してみます。

  1. ベースラインと統制語の「ワサズ」は月齢が増えるごとに減少しているので、この単純な試行そのものに飽きて反応が薄くなっていっている可能性が示唆されます。
  2. またベースラインの注視時間は月齢が増すと共に減少しているのに比べ、ベースラインに使用した「ラマク」をもう一度聞かせると注意がある程度復活するようです。各音声の弁別能を調べたいのであるから、各音声との比較はベースラインではなく「ラマク」と比較するのが妥当と思われます。
  3. 「ラマク」と比較して統制語の「ワサズ」が最も大きく注視が復活しているので、大きく異なる音声の方が注意が復活する、つまり弁別可能であると考えてよいでしょう。
  4. 「ラマク」に比べ「ダマク」と「ハマク」の双方ともどの月齢においても注視時間が大きいため、一音声のみ異なる「ラマク」と「ハマク」も弁別可能と考えられます。しかし「ダマク」と「ハマク」の差異はほとんど存在しないため、当初想定していた「/r/と/d/の弁別より/r/と/h/の弁別の方が容易だ」という仮説は支持できません。
  5. 月齢5ヵ月に対して9カ月と15カ月では、「ダマク」と「ハマク」共に若干ながら注視時間が大きいため、弁別能力は上昇している可能性が示唆されます。9カ月に比べ15カ月の方が注視時間が少なくなっている理由として、この単純な実験そのものに飽きるのが速くなっていることが影響した可能性があります。

個人的には、著者による解釈はバイアスに汚染されてしまっていると思います。こういうことが起こりうるので、著書を読む際には、実験結果に対して自分で解釈を行うことが必要です。

4.参照文献

  • 参照文献:小林晴美、佐々木正人編『新・子どもたちの言語獲得』第2章(大修館書店) 書評と要約

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高校生物の全体構成

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1.「高校生物」の全体構成

今、手元に数年前に購入した高校生物の参考書『理解しやすい生物』(文栄堂)があるので、まずはその目次を見てみましょう(注意点;いわゆる旧課程の本なので、新課程とはいくらかの違いがあります)。

  • 第1編 細胞と遺伝子(生物基礎)
  •  1章 生物体をつくっている細胞
  •  2章 遺伝子とそのはたらき
  • 第2編 環境と生物の反応(生物基礎)
  •  1章 体液の恒常性
  •  2章 内分泌系と自律神経系
  • 第3編 生物の多様性と生態系(生物基礎・生物)
  •  1章 植物群集とその多様性
  •  2章 生態系とそのはたらき
  •  3章 個体群とその維持
  • 第4編 生命現象と物質(生物)
  •  1章 細胞と分子
  •  2章 異化と同化
  •  3章 遺伝情報とその発現
  • 第5編 生殖と発生(生物)
  •  1章 生物と減数分裂
  •  2章 動物の生殖と発生
  •  3章 遺伝
  •  4章 植物の生殖と発生
  • 第6編 生物の環境応答(生物)
  •  1章 刺激に対する動物の反応
  •  2章 動物の行動
  •  3章 植物の反応と調節
  • 第7編 生物の進化と分類(生物)
  •  1章 生物の進化
  •  2章 生物の分類

2.生物学の階層構造

生物学をこれから始める人には、全体構成とかさっぱりわからないと思います。まず各編の後ろの生物と生物基礎の区別からいきましょう。これは高校生が学習するための便宜的な区別で、基礎とその発展という区分ではないので注意です。「生物基礎」の方が応用なんでは?と思えることも多々あります。

それはおいといて、生物基礎にあたる第3編までのタイトルが、実は生物学の階層構造を割とよく表現してくれてます。第1編が「細胞と遺伝子」なので、細胞についてです。第2編は「環境と生物の反応」で、多細胞生物個体についてだと言ってよいでしょう。第3編は「生物の多様性と生態系」で、生物群集についてですね。このように基本単位である細胞、その統合体としての生物個体、さらに個体が集まった社会の順に、階層化された区分がここに認められます。細胞を基本単位として考える時点で歴史的経緯とは違いますし、この階層化は単純なピラミッド構造とも違います。本当は生命について考えたいけど生物からしか考えられない、そんなジレンマがこの階層区分に現れているような、そうでもないような。

それから残り第4編から第7編までもこの階層化が当てはまって、細胞から生物社会までグラデーションを成して記述されています。ひとまず上のような階層化がされてるんだなと思っておいてください。これだけで全体の見通しはよくなると思います。

3.参照文献

  • 参照文献:水野丈夫、浅島誠共編『理解しやすい生物』(文栄堂)

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高校生物ってどんな分野?

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1.「生物学」入門としての高校生物

高校生物をやったことのある人はそんなにはいないんじゃないかと思います。理系の人なら物理と化学の方を選ぶでしょうし、文系の人は「生物基礎」はやってたけどという人も多いでしょう。普通に字面を見て高校レベル「生物学」だと考えて、まあ間違ってないです。「生命」というよりは「生物」の学ですね。生物に興味のある人は同時に生命も興味があるでしょうけど、なかなか「生きているということ」には手が付けられないです。とはいえ「もの」としての生きものだけじゃなく、その「はたらき」もなんとか対象化しようと試みられてはいるので、「生命」の学問の入り口としては決して悪いものでもないです。

これから高校生物の入門ページを作っていくわけですが、さすがに大学受験のための人がここを訪れるとは思えないので、生物学に興味のある人とか必要になってしまった人が独学できるようなページにしたいところです。最初に言ってしまうと覚えることが山盛りです。でもやっぱり覚えるべきことではあって、まずはこれだけは覚えておいた方がよい、もしくは理解しておいた方がよいことについてのページを作っていこうと思います。その後でちょっとずつ、より詳しく解説したページを加えていく予定です。

2.「生命」の学としての「生物学」

さきほど覚えるべきことが山盛りと書きました。大学受験をするわけでもないのに覚えないといけないことがたくさんあるというのは、納得がいかないかもしれません。本当はただ覚えるのではなく、生命現象をどのように対象化して考えればよいのか、生物学における考え方を見つける必要があります。でもそんなことがいきなりできるのは、ごく一部の秀才だけでしょう。まずは生物学の視点ですでに区切られ名称がつけられている事項から覚えていくのが、遠回りに見える早道のはずです。生物学でつけられている名称は意味もなくつけられたものではなく、多様な生命現象に区切りを入れて、一般の人でも考えることができるように工夫されたものです。ですからまずは生物学用語を覚えてみて、そしてその用語の後ろに潜在している、「生物学」という学問の特質を探し出してみてください。

別に生物学で言われていることが完全に正しいというわけではありません。西洋を起源とする生物学では、その性質により可視化することができたことと、逆にそのために記述できなくなってしまったことがあるでしょう。生命について考えるための一つの入り口として生物学を活用していただけたらと思います。

3.新課程、旧課程について

最後に注意点として、ここのページは2025年における新課程といわれるバージョンではなく、2022年までの旧課程をもとにして作っていきます。新旧課程では章の構成が大きく変わっているところもあって、今のところ自分にとってどちらの形式が適切かよくわかりません。ひとまずページを作ってみて、何か考えがまとまったら、その都度ページを更新することにします。

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左翼、保守、右翼の簡略的な定義

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1.簡略的な定義が必要な理由

一般的によく使われるけど、いまいち意味がわからない言葉に「左翼」、「保守」、「右翼」の三幅対があります。意味をよく理解できないのには理由があって、その歴史的経緯から複数の軸で構成された複雑な概念対であるからです。仕方がないことではあるのですが、定義が複雑なために、日本のほとんどの政治家が保守を自認するという、よくわからない状況になっています(2025/11/09時点)。そこで一旦、一般的な定義で一番重要と思える要素を取り出して定義し直してみることにします。

一番重要な要素は、理想郷を想定するかどうか、それがあるとして過去にあったのか、それとも未来に実現すべき目標と想定するかどうかです。この区分により左翼、保守、右翼をすっきり区分できると考えられます(結論を急ぐ人は第3節に飛んでください)。ただし、どうしてもうまく説明できないトピックが出てきてしまうのを、先に断っておきます。

2.一般的な定義

著書やネット情報をざっとみる限り、大まかな考え方は共通しているようです。正確に記述しようとすると膨大な量になってしまうので、多くの情報に共通する部分を抜き出して、ごく簡単な定義を示します。

中心となるのは人間の「理性」を信頼するかどうかです。人間理性を信頼するのが左派で、信頼しないのが保守と右翼です。さらに、人間理性を超える信仰や伝統を重視するのが右翼で、理想社会を断念して秩序を維持しようとするのが保守です。

分類理性に対する態度重視する対象
左翼信頼理性により構築されたシステム
保守否定信仰や伝統
右翼否定現存社会

「理性」というのは欧米由来の概念で、「神」に与えられた「理性」という意味を含み、日本人の思う理性とは少し違った概念です。たぶんわかりづらくしている要因はこの概念を重要概念としたためです。普通に考えて、人間の理性を信頼していないからシステムとして新たに構築する必要があると考える人もいるでしょうし、信仰や伝統は理性的に運営されてきた結果、長い間維持されてきたと考える人もいるでしょう。理性を最重要視した結果として、区分が直観と一致しなくなっているようです。

3.理想郷の時間軸上の位置による定義

わかりづらくしている要因だった「理性」概念を取り除いて、「左翼」「保守」「右翼」を定義してみます。「理性」の代わりに、今度は「理想郷」で区分します。

3.1 理想郷がいつの時代によるかで区分する

目指すべき社会の実在を信じるかどうか、それが存在するとしていつ存在するかで、左翼、保守、右翼を定義してみます。簡単に言うと、左翼が未来志向型で右翼が過去回帰型、保守はそのどちらでもなく現状(現在)維持です。

区分理想郷の時代政治的性向
左翼未来能動的に社会を変革していこうとする考え方。
保守想定しない概ね現状を維持。
右翼過去かつて存在した理想とする制度を再現しようとする考え方。

左翼は、今より社会をもっとよくできる、未来において理想郷が実現可能だと考えるので、現在の社会の問題点を積極的に改善していこうとする考え方、ようするに革新派となります。右翼は、過去に今よりも優れた社会が実在したのだから、その制度を復活させればよい、という考え方です。保守派はどちらでもなく、最適ではないかもしれないけど今の社会はそれなりに存在価値があるから存続しているので、余計な手を加えずマイナーチェンジでなんとかなるだろう、という考え方です。理想郷を想定する時代で区分すれば、左翼が革新派で右翼が天皇制、家父長制回帰を志すこと、そして保守が現状維持であることと、感覚的に一致させられます。

3.2 政策を区分してみる

上の定義はわかりやすい区分になったとは思いますが、政治家や政党を全てこの区分で分類することはもちろんできません。ある人のこの政策は左だけど、あの政策は右なんてことが普通におこります。それから、ある政策や考え方をどちらに区分してよいかわからない、という場合もあります。こういったことはどの定義でも同様です。

いくつか話題に上りやすい政策を分類可能か考えてみます。

トピック区分考え方
憲法九条左翼:護憲⇔右翼:改憲(?)九条を先進的と解釈すれば可能
環境・エネルギー問題左翼:再エネ⇔右翼:原発新技術の確立が必要な再エネとアナログ変換の原発
移民政策左翼:受け入れ⇔右翼:維持多様性を積極的に肯定するかどうか
ジェンダー左翼:多様な性⇔右翼:男女二分性の選択にも自由度を設定するかどうか

感覚的にはっきりわけられるけど、区分理由がはっきりしないのが憲法九条に対する態度です。革新派なら当然憲法に対しても改善を要求するはずで、現在の護憲が左翼で改憲が右翼という構図は逆に思えます。「戦力の不保持」を謳う九条が先進的と解釈すれば一応この区分で矛盾は回避できます。しかし平和主義を盛り込む憲法は世界的にたくさんあるらしく、日本国憲法はわりと標準的な憲法らしいです。そうすると、左翼がより九条の精神を体現するために改憲するべきだと主張するのでない限り、この区切り方は苦しいと言わざるを得ないです。

こんな感じで、左翼が未来派で右翼が過去回帰派とする区分はベストな定義ではないです。それでも現在の政治家や政党を上手く分類するには、とても有益な方法と思われます。

4.参照文献

参照文献:東浩紀・北田暁大編『思想地図 vol.1 特集・日本』(日本放送出版協会)

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竹田青磁『現象学入門』書評と要約

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1 評価

竹田青磁『現象学入門』

評価:

タイトルは「現象学入門」ですが、内容はほぼフッサールについてです。木田元によるとフッサール自身がそれまでの自身の思想を乗り越えていっているとのことですが、そういったことはこの本には全く書いてませんでした。フッサールの思想の変遷には触れず、代わりにフッサールへの批判に対する批判が著書全体に散りばめられてます。話の流れをわかりづらくしている主要因だと自分は思っていて、正直「もったいない」というのがこの本の感想です。

ほぼフッサールの思想に絞って記述されているので、フッサールの思想は詳述されているかと思いきや、反復が多くて記述量の割にはそれほどでもなかったりします。木田元の『現象学』に比べ、記述自体は読みやすいですし、示唆に富む箇所もたくさんあります。<主観>と<客観>の完全一致は可能か、という視点が通底してあり、この問題は本来は考える必要のないものだという結論を導く流れは納得のいくものです。現象学の入門書としてはどうだろうと思いますが、重要な視点を提示してくれているので、他の現象学関連書を読んでいたとしても一読の価値はあると思います。それから本の終わりに25ページに及ぶ現象学用語集があって、これは非常にありがたいです。以上、不満と評価できる点を踏まえて、可もなく不可もない、評価3にしてます。

2.章ごとの要約

各章ごとに簡単な要約を上げておくことにします。

第一章 現象学の基本問題

近代哲学の根本問題として「主観と客観」の二元論が挙げられます。簡単に言うと、今目の前に石ころが見えているとして、この見えている石ころは本当に対象として存在する石ころと同じ存在であると言えるのか、その保証は存在するか、といった問題です。これが根本問題とされるのは、自然科学の仮説検証において、仮説が主観、検証で得られる確証が客観にあたるためです。自然科学においてというよりも、自然科学の方法を人文科学に適用するときに問題が生じます。

デカルト、カント、ヘーゲルの思想を経てこの問題に対して言えることは、<主観>と<客観>の一致を論理的に突き詰めると、極端な「決定論」か極端な「相対論」、「懐疑主義」、「不可知論」のどちらかに行きついてしまうということです。ニーチェは<主観/客観>図式への疑念を理論化し、世の中に千差万別の意見があるに過ぎないのに、なぜ様々な人に共有される共通認識や、議論による「納得」が成立するのか、といった疑問を生じさせます。そしてニーチェが直感的に気づいていたことを引き継いで徹底した考察を加えたのがフッサールです。

第二章 現象学的「還元」について

デカルトが考えたように、「夢」と「現実」を区別する根拠は存在しませんが、しかし実際には我々は心の底では「現実」の存在を確信しています。フッサールは、人間はただ<主観>の内側だけから「正しさ」の根拠をつかみとっている、と考えています。そして重要となるのは主-客の一致の確証などではなく、これが現実であることは「疑えない」という確信がどのように生じるのか、です。そうすると主観の側、独我論的主観からあえて始める必要があり、そこから不可疑性が生じる根拠を求めることになります。「還元」という言葉は以上の事情全般を指すような言葉として考えることができます。

フッサールの「諸原理の原理」は、認識、判断のいちばん底で源泉となるもののことです。フッサールは、直接の経験によるためその人にとって疑うことができない「直接判断」と、直接判断をもとに新しい事態に際しての類推などの「間接判断」に分けて考えています。直接判断を疑ってみた結果、最後に残る疑い得ないものをフッサールは「知覚直観」としています。この概念が指していることは、あらゆる意識表象の中で知覚だけは特別に意識の自由にならないものとして現れることです。そしてこの意識によって自由にならないという性質から、知覚は「疑いえないもの」として現れてくることになります。さらに我々の知覚経験には、私と他人は同じものを感覚しているという直感が働くのであり、これが言葉一般を可能にしている根本的な土台となっています。

第三章 現象学の方法

『イデーン』を読むにあたっての注意点をまとめると8つになります。

  1. 自然的態度、素朴な世界像について:私たちが普段もっている「自然的な世界像」は、空間・時間的な拡がりを持っており、さまざまな価値やエロスを含んだ実践的な働きかけの対象として現れてきます。
  2. <還元>の開始…エポケーの方法:<主-客>問題を解くためには、自然的態度にある<主観/客観>図式の前提を一時的にやめる必要があり、この一時停止が「還元」です。
  3. 「純粋意識」という残余、超越論的主観について:還元の結果、最後に残るのが純粋意識で、これは人間の経験や世界像一般を可能にしているいちばん基礎のはたらきのことです。
  4. 超越論的主観における「世界の構成」:フッサールにおいては人間の直接経験が第一の視線であり、これを対象化する第二の視線がドクサです。そして現象学的還元で得られる視線は第二の視線を対象化した第三の視線です。
  5. 事象は「志向的統一」である…コギタチオ-コギターツム:人間の知覚は微妙な違いをもった射影の連続として与えられるはずですが、実際には「同一の机を見ている」という端的な経験として現れてきます。このことからフッサールは「人間の具体的経験は、「多様な知覚」という素材から意識の「志向的統一」という「はたらき」を通して構成されたものだ」(p.90)と考えています。
  6. <内在-超越>原理:フッサールは「原的な体験」にあたるものを「内在」、”構成された事象経験”を「超越」と呼んでいます。内在というのは、リンゴが赤く感じたというときの「感じた」という疑い得ない側面のことです。超越は「これは机である」とかの同定であり原理的にはいつも可疑的です。
  7. 意味統一としての「経験」…自我という極の意味:人間が生きている世界は、すでに「意味の統一」によっての現われの世界です。フッサールが諸表象の体験流とか絶対的与件と呼ぶのは、それ以上反省されない(意識が自分自身についてその現象の因果を知りえない)限界、という意味でです。
  8. <ノエシス>-<ノエマ>構造:フッサールは心的世界の構成について、「素材」(ヒュレー)と「形式」(モルフェー)の図式で考えています。人間は何かをするとき、つねに何を行おうとしているか把握し続けることでそれが可能となっており、<意識>の「ノエシス的契機」というのはこの志向性をもったはたらきのことです。ノエシス的契機によって事実として意識に現れる<超越>的対象物がノエマです。ノエマは多層的な意味系列として、そのつど意味あるものとして、さまざまにある価値を持ったものとしての現れを持ちます。実際のノエマ的相関者はもろもろのノエシスとノエマが相互に積み重なったものでもあります。

第四章 現象学の展開

後期フッサールの思想を考察していきます。この章での問題点は次の三つです。

  1. 近代的な世界像の成立
  2. 間主観性
  3. 生活世界

実証科学を除いて西洋の学問は19世紀に危機を迎えます。その理由は<主観-客観>問題の謎を解き明かさなかったためとフッサールは考えました。<主観-客観>図式は次の過程から自明なものとみなされるようになったと考えられています。時間・空間的延長の数学化から感性的性質の数式化へと拡がり、生活世界と理念化された世界の解離と逆転が導かれ、心身二元論が成立したためです。

フッサールは、「他我が<私>と同じような存在として実在している」という確信が先で、これが客観世界の存在の確信にもとにあると考えています。<自我-世界>という関係が構成され、それをもとに<他我>が構成され、そしてこれをもとに、それと同時的に成立する客観的世界(客観的時空間)が構成されます。フッサールの他我の考え方の問題点は、<私>の身体了解の「類比」として<他人>の身体が類推されているところです。「他なるもの」の了解において第一の起点となるのは、<知覚>直観ではなく情動的所与と思われます。

生活世界は<私>を中心に拡がる意味、価値の「地平」として与えられます。人間にとっての事物は、固有の意味と価値の秩序の中の存在として、人間の実践的関心に応じて現れてきます。

第五章 現象学の探究

近代哲学は基本的には主観から客観を説明しようとする立場で、フッサールは主観-客観図式の問題を解くにはあえて観念論を徹底しなくてはならないと説いたのですが、これによって最後の独我論者とみなされてしまいました。構造主義、ポスト構造主義による批判もこのような視点からなされています。

サルトルは意識=自由を人間の本質としていますが、フッサールは意識にとって自由にならないものを明証性の根拠として追いつめています。人間の自由というのは意識の自由を行使できるというようなものではなく、人間の世界が一定の秩序を持ちながらその秩序を疑いそのすえに確かめ直すことができるということ、世界がそのような現実感をもって経験されることです。

メルロ=ポンティが直観していたのは、「物質的因果の秩序と心的な秩序の原理はまったく異質で非連続的(非対称的)なものだということ」(p.175)だと思われます。一方、フッサールによると主観と客観は非連続で非対称な関係であり、主観から客観という一方通行的な関係です。

ハイデガーの現象学の方法において、「道具連関」と「気遣い」(ゾルゲ)の重要な二つの言葉があります。気遣いは簡単にいうと、人間が世界に向けている多様な関心・欲求のことです。人は気遣いによって、生のそれぞれの場面に応じて、自分にとっての対象を道具連関として規定しています。そして現存在の気遣いは、必ずなんらかの意味へ向けられています。主観において、多くの主観が共同で何らかの目的を持つのであり、このときさまざまな意味が交換され、共通了解として、つまりある<客観>像として受けとられます。この客観像は客観的実在そのものではないのですが、<主観-客観>問題はこれらを混同してしまうことによって引き起こされています。

現象学-存在論の思想により、<主観-客観>の謎が解明されたことになります。しかし解明というのは、「この矛盾の必然性が十分に了解でき、そのことによってパラドクスとして現れていた謎が奇妙なものとは感じられなくなり、そこには探究すべき問題がなにひとつ残らないというかたちで問題が終わることである。」(p.202)

3.追記

いつになく章ごとの要約が長くなってしまいました。各章を上手くまとめられなかったです。やはり他の著書に比べて、章ごとのまとまりはあまりないと思います。

上の要約は、自分の関心にそって自分がわかりやすいように抜き出してまとめたものです。そのため重要な考え方がかなり飛んで行ってしまっています。ページ冒頭でも書きましたが、本としてのまとまりはよくなくても、重要と思われる考え方が全般に散りばめられています。ぜひご自分で、竹田の思想を著書から引き出してみて下さい。

4.広告

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