大村敏介『本能行動とゲシュタルト知覚』書評と要約 - 趣味で学問

大村敏介『本能行動とゲシュタルト知覚』書評と要約

評価:

最近はほとんど取りざたされる機会のない、ローレンツの動物行動学とゲシュタルト心理学について考察された本です。どちらも非常に詳細な動物観察をもとにして考案された考え方ですが、それが故の煩雑さもあって、忘れ去られるどころか誤解されて広まってしまっている状況です。ローレンツらの動物行動学もケーラーをもとにするゲシュタルト心理学も、今になってみると不適切とわかる考え方を含んでいるのですが、今なお深い洞察を与えてくれるものであることは間違いありません。この本は、その双方の問題点を含め、その概要を説明するとともに両者の収斂を図った力作です。

良作であるのは間違いないんですが、文体が自分に合わないのか、内容の理解に苦しむところもたくさんありました。多数の動物行動学者および心理学者の知見をまとめ上げた労作であるがゆえに、本全体の流れを掴むのは難しくなっている印象です。著者による本の目的は、ローレンツの本能行動概念の説明と、ゲシュタルト心理学との収斂が可能か探ることと述べられています。しかしその結論そのものよりも、大村によるそれぞれの思索の解釈の方が重要な情報を含んでいるように思えます。

章ごとのまとめ

ここで本全体をまとめるのはちょっと無理そうなので、章ごとにどういう内容か、簡単にまとめてみます。

第Ⅰ章 序論と課題の限定

動物行動を観察する場合、その原因を考察することになります。行動の因果論的説明においては、因果系列の始発項が外か内かにより、大きく二通りに区別することができます。「刺激-反応の図式」は例えば膝蓋反射のような「外からのアプローチ」で、「再求心性インパルス説」は「内からのアプローチ」にあたります。また、神経系という物理的構造の状態と平行して心的現実が現れるとする立場を「平行論」と呼びます。心的現実と物理的現実の平行性を考えるには、行動の内部原因を「動力」とか「エネルギー」とか「物」の次元で考えないといけません。

第Ⅱ章 ローレンツの本能行動説

まずⅡ章全体は「本能行動と目標指向的行動の間に移行は成り立たない」とするローレンツの考え方を確認することが目的です。本能行動は系統分類学的に発展したもので、種固定的で経験による変化を蒙りません。個体の経験は本能行動の変化ではなく、本能行動間でそれらを接続するのに利用される(本能・訓練連接)、と考えられます。確かに本能行動は反射的過程ではあるのですが、それだけでは足りなくて、志向されるという主観を伴う行動として考えないと説明ができません。

第Ⅲ章 系統発生的適応と経験(学習)による行動修正の可能性

この章は学習と呼ばれる過程のうち、単純なものから高等動物における複雑なものへと順に記述されてます。高度に複雑な計算装置は学習により変化せず、学習が起こる行動内の場所は決められています。「慣れ」、「刷り込み」についての具体的な記述があります。高等哺乳類の「学習」においては、終末事態において経過する運動は、訓練づけ的作用をもつことが確認されています。

第Ⅳ章 生得的解発図式の独自エネルギー(活動特殊エネルギー)とその機能的特性

この章は生得的解発図式の機能的特性についてです。生得的解発機構の機能は、経験なしで適応的な行動を起こさせることです。生得的解発機構は外因性と内因性の両方に規定され、さらに量的性質と標識間の関係の両方において、ゲシュタルト知覚との相違と類似を持ちます。

第Ⅴ章 解発体の構造と機能

まず生得的解発機構が同種内でのシグナル機能を担うように、刺激の受容と発信の装置が共に分化した、という内容です。さらにそこから分化した生得的解発機構があって、本来の運動様式から偏倚した方向へ分化しているので、形式化した意図的運動と呼ばれている、と続いてます。

第Ⅵ章 活動特殊エネルギー説の検討

本能行動は各要素的運動が、あるパターンをもって体制化するので、体制化全体に対して生得性を考えることができます。活動特殊エネルギー説は外因性、内因性の双方の準備態勢を仮定していて、この仮説に必要な本能運動の中枢性の自律性はすでに実証されています。その機構として特殊興奮のようなものを想定せずとも、全興奮の制御ならびに分配と、特殊求心性インパルス(再求心性インパルス)とによってもたらされた結果とみなすことも可能です。

もともと活動特殊エネルギー説は、動物行動の秩序だったかつ多様な構造化を説明するための概念で、それらが一つの全体像として総合されるための解釈図式として、それぞれ活動特殊エネルギー説やヒエラルヒー図式が考え出されています。

第Ⅶ章 ゲシュタルト知覚の卓越した認識機能

神経装置による知覚的報告そのものが、知的な類推と比するほどの機能を有しています。生理的なものと心理的なものという通約不可能な境界は、高次と低次ではなく生命現象全般に当てはまります。

われわれの知覚においては、意識に昇るのは最終的な帰納の結果のみで、帰納の基礎となるような個別的末梢的報告を意識することはできません。興奮伝達の刺激流は、ある意味で中心化していて、その意味では「中枢」と呼ぶことのできる領域があります。この領域はそれ自体階層的に体制化されているわけではなくて、おそらくなんらかのかたちの「場理論」のほうが、中枢という古い考えかたよりもその理解に近づけると考えられます。

第Ⅷ章 一般的考察と結論

この本の上記二つの目的についてのまとめの章です。まず本能行動は経験による修正を蒙らない行動様式で欲求行動はそれとは逆と定義されています。本能行動に比べると、ローレンツの欲求行動の定義には曖昧なところが残ります。

ローレンツは知覚的ゲシュタルトを最高級の「認識機能」として位置付けています。ブルンスウィクとヘルムホルツの二人の心理学はどちらも平行論に立脚しており、ローレンツは両者の収斂により事実領域の拡大を目指していました。実際、ローレンツの本能行動論とゲシュタルト観は、両者を結ぶ先駆的試みとして評価することができます。

追記

大村によるとローレンツはフロイトの力動論をもとにして活動特殊エネルギー説を考えているとのことです。ただ、今となってはこのような個々の特殊エネルギーや特殊物質を想定しなくても、神経系と身体の協働における特殊体制化とかで説明できるようにも思えます。これに関してはローレンツの考え方を受け容れる必要はないですが、ローレンツを筆頭に動物行動学やゲシュタルト心理学が核心を突く議論を内包しているのを、この本はよく示してくれていると思います。

この本での記述はかなり専門的なものを含み、生理学の知識に乏しい私にはついていけない箇所もありました。「動物行動学」ページでは、できるだけ生理学知識の裏付けも取る形でページ作成したいと思います。

下は楽天アフィリエイト広告です。

本能行動とゲシュタルト知覚 [ 大村敏輔 ]

価格:3630円
(2025/1/10 03:33時点)
感想(0件)

<< 『脳と身体の動的デザイン』書評と要約 『オープンダイアローグとは何か』書評と要約 >>

<< 書評トップページ

ホーム » 書評 » 大村敏介『本能行動とゲシュタルト知覚』書評と要約

むつきさっち

物理と数学が苦手な工学博士。 機械翻訳で博士を取ったので一応人工知能研究者。研究過程で蒐集した知識をまとめていきます。紹介するのはたぶんほとんど文系分野。 でも物理と数学も入門を書く予定。いつの日か。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA