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古代の哲学から中世の哲学へ

ギリシア、ローマ哲学を中世に受け渡すにあたって、重要な役割を担ったのがボエティウスです。ボエティウスはプラトンとアリストテレスの思考を色濃く引き継いでいたのは間違いないのですが、両者の思考をどのように調停付けようとしていたのかは、よくわかっていません。確かなことは、古代に通底するイデアや形相を元にした思考は、中世以降の西洋哲学の基底を成すものとして影響を及ぼし続けたことです。

1.普遍論争の原点

中世哲学において有名な議論に普遍論争(「類種概念は実在するか」)があります。普遍論争はかなり込み入った議論なのですが、ひとまず「「種」なる概念はイデアとしてあるのか、それとも個体の関係性の中で擬製されて現れてきているのか」という議論だと考えることができます。ボエティウスは「プラトンのイデア、アリストテレスの形相はそもそも存在するのか、存在するとするなら、どのような仕方で存在するのか」と問うており、ボエティウスが普遍論争の原点と考えられています。

この問に対するボエティウスの応答の一つは次のようなものです。

「形相的なもの、アリストテレスがさまざまなカテゴリーとして整理したものは、「あらゆるもの(res)にむすびあわされ、なんらかのしかたで結合し、つなぎとめられて」いる。イデア的なものは、そのかぎりで「存在する」(『イサゴーゲー註解』第一巻第十章、熊野純彦『西洋哲学史』上巻、190ページ)。」

プラトンは独立に存在するイデアの世界を想定していたので、形相やイデアを複数の関係性の中にのみ存在するとみなす上の記述は、プラトンよりはアリストテレスに近いように思われます。

2.存在のイデア

「存在と存在者とはことなる」というハイデガーの有名な命題がありますが、ボエティウスがすでに「存在と存在するものとはことなっている。」と述べていたようです。木村敏にならって、「存在」を「存在するということ」と考えると、確かに両者は異なっています。ボエティウスは「存在の分有と、なにか或る形相の分有」によって「存在」を考えています。「一」なるイデアと同じように「存在」のイデアがあって、「存在」のイデアを分有すると同時にある形相(性質)を分有することで、その存在者がその性質をもってある、という考えとみなせるでしょう。そうすると新プラトン主義と同様に、イデアの実在を前提にするプラトン的な考え方を彼がしていたようにも思われます。

関連ページ:一者の思考(新プラトン主義)

3.それがあることとそのようにあること

本質存在と事実存在の間に明確な区分を見い出したのはアリストテレスです。二つの存在の区別はボエティウスを参照にしたトマス・アクィナスにも見られます。トマスは「本質」を可能態、「存在」を現実態と考えていました。そうすると存在者は、いろいろなものに変わっていく可能性を本質として持っていて、その一つの在り様として現実のその存在者の形が存在する、という風に考えていたとみなせそうです。

  • 参照文献:熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店)

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むつきさっち

物理と数学が苦手な工学博士。 機械翻訳で博士を取ったので一応人工知能研究者。研究過程で蒐集した知識をまとめていきます。紹介するのはたぶんほとんど文系分野。 でも物理と数学も入門を書く予定。いつの日か。

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