ルーマンの予期理論 - 趣味で学問

ルーマンの予期理論

ルーマンの社会システム論は難解なことで有名です。まず文章の晦渋さにより私の読める著書ではないのですが、幸い日本の社会学者の人たちが簡潔にまとめてくれている部分もあります。このページではルーマン初期の「予期理論」について、社会学者の橋爪大三郎の理解をもとにまとめていくことにします。

参照にするのは橋爪大三郎『言語ゲームと社会理論』第3章です。初版は1985年で、ルーマンの主著『社会システム論』が出て間もないころですが、ルーマンのこの主著ではなく『法社会学』の方が参照されています。橋爪はルーマンの予期理論に対して批判的であり、おそらくその批判は妥当なものと思われます。予期理論の不十分な点を説明するために、オートポイエーシス論を導入したという側面もあるかもしれません。オートポイエーシス論の概念は出てきませんが、オートポイエーシス論へと接続されていくと考えると、引き出すことのできる含意があるように思えます。終わりに少しだけオートポイエーシス論との関係性を考えてみます。

1.概念

まずは予期理論で用いられる概念を示しておきます。私の解釈による部分もあるので、不適切な理解があるであろうことを初めに断っておきます。

  1. ホッブス的秩序の問題:おそらく「自由な個人の間にいかにして社会秩序をつくりうるか」というホッブス問題と同じ。
  2. 予期:個体の遂行で、かつ事象そのものではなくその像であり、生起する事象の前のもの。相手の行動を予想して行動すること。
  3. 認知的予期/規範的予期:認知的予期とは予期に反した現実があらわれた場合に、それに適応する予期で、規範的予期は予期に反した現実があらわれた場合にも、もとの予期を変えない予期。
  4. 不確定性:予期とは別の指示が生起する可能性にさらされていること。
  5. 二重の選択性:送り手が多くの選択肢の中から選んで伝達した内容を、受け取り手が事実として選択の前提として受け取る場合。
  6. ルール環:ルールが円環をなして体系化されていること。
  7. 一次ルールと二次ルール:一次ルールが日常的に共有されている約束事などで、これを言及することで一次ルールとそれに言及する二次ルールという形で可視化される。
  8. 予期の布置連関(初期状態):多数の予期が重合している状態(図1参照)。
  9. 予期の整合的な配列:ルール環のように予期が循環的に連接されていること。
  10. 予期の反射:二者間の間での予期の連接。相手が自分の行動をこう期待しているだろうと予期すること。
  11. 規範投射:他者が自分に対する規範的予期をもったということが、自己の認知的予期に直接影響するような場合。
  12. 予期の相互作用:「予期の連鎖」、「違背処理の象徴過程」、「行動予期の制度化」、「意味(Sinn)」の四つ。
  13. 予期の連鎖:たとえば、「予期を規範的に予期することによって、前者の予期様式を規範的な規制に服せしめることができる」場合。ある人Aがある件に関してある人Bはそう予期すると予期する結果、その影響である人Bが本当にその予期を抱く場合など。
  14. 違背処理:違背行為を処理して背かれた規範的予期を維持する行為。
  15. 違背処理の象徴過程:違背処理により「それを見聞きする範囲のひとびとに一様に、規範的予期の存在を印象付け」られること。
  16. 第三者:「現実に予期し行為するわけではないが、《場合によっては》そうするであろう者、現に予期し行為するひとびとの《予期の地平》に現れる者」。抽象的で不特定である第三者。
  17. 意味:「多様な体験可能性を、間主観的に疎通可能なしかたで総合する役目を果たす」もの。「予期を節約する慣用句のような」機能を持つ。

2.ルーマンの予期理論

2.1 予期理論の概略

ルーマンの予期理論は一行で言えば、人びとの予期の集合が連関して、結果として法・規範を形作る、というものです。「予期の布置連関(初期状態)」→「予期の整合的な配列(一致)」→「ルール(ないし、法・規範)」…①の順で生成されていきます。ルーマンは予期を認知的予期/規範的予期の二種類に区別していて、これが連関して{認知的or規範的}予期の{認知的or規範的}予期の…のように連続していくと考えています。これらの予期が相互作用し、結果として予期が一致する場合があるはずで、安定して予期が一致するような状態が社会秩序が成立している状態と考えられます。

予期の相互作用の仕方として「規範投射」があり、これは他者が自分に対する規範的予期をもったということが、自己の認知的予期に直接影響して他者と同様の規範的予期を持つような場合のことです。規範投射をもとに予期の整合的な配列(予期の円環)が成立し、さらに第三者の存在により象徴化されてルール環として規範が成立します。図示すると図1のような予期の布置連関からの一致から、最終的には図2のようにルール環として規範が成立します。

2.2 反射的な予期

予期と予期の関係で基本となるものとして反射的な予期(二者間の関係)を考えるとします。二人の人間1、人間2がいるとして、人間2が、人間1の人間2に対する予期を予期するとき、「予期1の予期2」と表現することにします。そのとき人間1も「予期2’の予期1’」を行っているでしょう。ここで予期1と1’、予期2と2’が同じものであれば予期が連接していきそうです。しかし人間2の行った予期1と人間1が行った予期1’は、違なる人間が行っていることなので一致するわけではありません。予期が一致するのに一役買うのが「規範投射」や「二重の選択性」で、社会は安定して「規範投射」や「二重の選択性」が安定して起こるような構造になっているはずです。

2.3 四つの相互作用

予期が重合的に配置された初期状態から規範が成立するためには、予期が相互作用して、予期の整合的な配列が成立する必要があります。ルーマンは予期の相互作用として「予期の連鎖」、「違背処理の象徴過程」、「行動予期の制度化」、「意味(Sinn)」の四つを挙げています。

  1. 予期の連鎖:ある人Aがある件に関してある人Bはそう予期すると予期する結果、その影響である人Bが本当にその予期を抱くような場合です。規範投射によって認知的予期であるはずのものが規範的予期となるような場合と考えてよいでしょう。
  2. 違背処理の象徴過程:「違背処理」は違背行為を処理して背かれた規範的予期を維持する行為のことで、この処理自体がそれを見聞きする範囲の人々に一様に、規範的予期の存在を印象付ける効果があります。ルーマンはこうした影響を「象徴」と呼んでいます。
  3. 行動予期の制度化:予期の連鎖が制度化されるのに仮定されているのが、抽象的で不特定である「第三者」です。人々がこの抽象的な第三者をあたかも実在するかのように行動することで、規範投射どうしの衝突や予期相互の矛盾には、一定の許容限度が存在することになります。結果、一定の範囲に予期が収束することになり、制度化への道が開けます。
  4. 意味:ここでの意味とは、多様な体験可能性を、間主観的に疎通可能なしかたで総合する役目を果たしてくれるものの総称です。予期を節約する慣用句のような機能を持ち、「言葉」や「言語」が意味をなすものの代表格です。

2.4 問題点

予期理論を説得的に示すには、予期という社会成員の活動から「規範」のような抽象化された拘束条件が成立し得るかどうかを明示しなければなりません。2.1節冒頭で示した通り、「予期の布置連関(初期状態)」→「予期の整合的な配列(一致)」→「ルール(ないし、法・規範)」の順に生成されていく機構を説明する必要があります。2.3節のように、予期の布置連関から規範が成立するまでの相互作用の様態は説明されていますが、相互作用を分類して詳述できたとしても、これだけで予期の布置連関から予期の整合的な配列へと至る機構を説明できたわけではありません。この機構を四つの相互作用を用いて説明すべきですが、この時点では説明されていないようです。

次に、予期の整合的な配列から規範が成立することの説明ですが、規範へと至るには安定性と(規範的な)拘束性が必要です。橋爪によると、ルーマンは規範的予期が整合するなら安定的だと考えていたようで、規範の成立についてはあまり記述していないようです。安定性に関しては「第三者」がその機能を担ってくれそうですが、この抽象化された「第三者」の成立を説明すべきでしょう。予期からである必要はありませんが、何かしらの心的現実の集合から、「第三者」にあたるものの成立を説明しないと、規範の成立を説明するために規範(第三者)を前提することになり、いわゆる循環論に陥る可能性が高くなってしまいます。概ねこの理由により、橋爪はルーマンの予期理論を批判しています。

2.5 規範を前提することの是非

規範の成立を説明するために規範を前提にしてしまったのでは、確かに循環論に陥って説明になっていないように思えます。しかし歴史上明らかになっている社会体制がいきなり成立したわけではなく、規範自体は未開社会と呼ばれる狩猟採集民の人たちの間でも成立しています。文化人類学の多様な報告からこのことは明らかです。狩猟採集民よりももっとさかのぼって、ホモ・サピエンス種の先祖まで逆に辿るとどうでしょう。クロマニョン人は現生人類種の直接的な祖先ではないですが、ラスコーの遺跡とかから彼らがかなり未開社会の人たちと似た文化を持っていたんじゃないかと推測されていたりします。

類人猿(現在の類人猿とは異なる)→猿人→原人→現生人類の順序で進化してきているので、猿人あたりで文化や規範が生まれ始めていたら、現生人類の文化も一から作られたものではないはずです。さすがに類人猿に文化はなかったでしょうが、現生の類人猿が彼らなりの社会を形成しているのも確かです。類人猿の研究をしている人たち(生物学系)の中には、チンパンジーの行動に人間社会に繋がる連続性を見ている人もいます。進化のどのあたりでどのような規範が成立したかはわからないですが、少なくともいわゆる「狩猟採集民」生活を送っていたころにはもうすでに社会規範が成立していたと考えた方がいいでしょう。すでに成立した規範が環境との相互作用で、今明らかになっているような古代の社会へと変化していったと考えればよいはずです。

動物社会にも規範はありますが、人間社会の規範とは違いがあります。動物の規範として一例を挙げると、けんかに負けて降参のポーズを示すとき、犬は頭を下げて背側の首を相手にさらし、ネコは仰向けになって腹を見せます。このような種ごとに固定されたポーズにより相手の攻撃は停止します。もちろんこの一連の行動は遺伝的に固定されているものです(機構はよくわかっていないですが)。人間の規範は遺伝的に固定されて世代を伝わるのではなく、文化として伝えられています。文化まではいかないですが、ニホンザルのイモ洗いなどは文化の萌芽に見えなくもないです。現生人類種が現われるまでに、すでに文化として伝えられるているもの(たとえば言語)があるのであれば、原始的な規範を前提して規範を説明してもよい気はします。残念ながら、原人や数万年前の現生人類種に文化があったとはっきりいうほどの証拠はみつかっていないので、この考えは推測の域を出ることはありません。

3.オートポイエーシス論的社会システム論へ

ルーマンの予期理論では、人びとの予期の集合が連関して、結果として法・規範が形作られます。集合した予期の間での相互作用が詳しく説明されているのですが、相互作用して「整合的な配列」を経て規範に至るまでの機構が説明されたわけではないです。それから「第三者」を導入していて、規範の成立に規範を前提して循環論に陥ってしまっているのでは?というのが橋爪による批判でした。さらに規範として成り立つための安定性が説明されていないことも問題として挙げられています。予期の相互作用から規範が成立する機構、規範の循環論の解消(緩和?)、規範としての安定性の三点を説明することが、オートポイエーシス論の導入で目指されるひとまずの目標になります。

山下和也によるルーマンの社会システム論の解釈は次のようなものです。

  • ルーマンのオートポイエーシス論的社会システム論:個々の人間ではなく人々のコミュニケーションが構成素となって、その産出プロセスが円環を形成したものが社会システム。コミュニケーションが触媒となって次のコミュニケーションが産出されるプロセスのネットワークが社会システムの本体。コミュニケーションの円環の結果、全体として現れる構造(排出物の総体)が、我々の目に見える社会。社会という構造が新たな環境となってシステムと相互浸透することでプロセスのネットワークが循環し続ける。

関連ページ:ルーマンの社会システム論

予期をコミュニケーションと言い換えてよいとすると、一度成立した予期の円環が、排出物としての社会構造と相互浸透することで再帰され続ける、ここに規範成立の機構、循環論の緩和、規範の安定性の三つの問題点解決の糸口を見いだすことは可能です。より詳しい検討は機会を改めて行う予定です。

  • 参考図書:橋爪大三郎『言語ゲームと社会理論 ヴィトゲンシュタイン・ハート・ルーマン』、勁草書房

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むつきさっち

物理と数学が苦手な工学博士。 機械翻訳で博士を取ったので一応人工知能研究者。研究過程で蒐集した知識をまとめていきます。紹介するのはたぶんほとんど文系分野。 でも物理と数学も入門を書く予定。いつの日か。

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