ヘレニズム期の哲学
1.ヘレニズム期の哲学
アリストテレスの死後、ヘレニズム期においても哲学的思索は続いています。アテナイはアリストテレスの死後も哲学的思考の中心地でした。いろいろな学派があったのですが、後世への影響という点で最も重要だったのはストア学派です。しかしまとまった著述は一つも残っていません。このページではストア学派とみなされている哲学者に共通する思考の傾向を、その基本部分に限って点描してみます。
2.ストア学派の哲学
ストア学派は論理学、自然学、倫理学という、三つの哲学の区分を設定しました。彼らの論理学は現代の論理学とはちがって、認識論、意味論、文法論等、知性と言葉にかかわる様々な考察が含まれています。また彼らの思考の特徴として、経験論的な色彩の強いことが挙げられます。
2.1 論理学
ストア学派の考え方や特徴を、まずは箇条書きで下に示してみます。
- 人間は生まれたとき、たましいの主導的な部分を書きこみのためによく整えられた白紙として所有しており、個々の観念をここにみずからひとつひとつ書きこむ。
- ひとは感覚によって、たんに外的な対象の刻印(印象)を受けとるだけではない。感覚とは、むしろ「同意と把握」とからなっている。外界の対象が感覚器官にはたらきかけるとき、たましいのうちに「表象」が生まれる。
- ストア学派の「対話法」は、「意味するもの」と「意味されるもの」の区別をふくんでいる。またストア学派の意味論は、意味と指示との区別に近いものに言及している。
- 指示されるものはすべて物体的なものである。そして存在するものは物体だけであり、たましいも物体である。
上記1からジョン・ロックのタブラ・ラサを連想した人は多いのではないでしょうか。2からはゲシュタルト心理学などの認知・心理的議論を連想することができます。3からはフレーゲとソシュールの思想との連続性を見て取ることも可能です。実際には、ストア学派の思索が近代から現代に続く哲学・科学的な思索に直接つながっているわけではない、と言われています。しかし古代においてすでに現代と同様な思索が見られ、そして紆余曲折を経て現代の思索にまで彼らの思考が流れ込んでいることは確かなようです。4については自然学を示した後に述べることにします。
2.2 自然学
こちらもまず、ストア学派の考え方や特徴を箇条書きで示してみます。
- すべての物体が質料と形相を持ち、物体は相互にはたらきかけ、はたらきかけられる。神とはすべての質料に浸透するロゴス、あるいは理性それ自身のことである。
- 神が世界に浸透し、いっさいのものの原因となり、すべてのものは相互にはたらきかけあい、作用をおよぼしあう。自然とそのロゴスはすべてをむすびあわせ、決定している。生起したできごとは、かならずその原因をもち、先行するできごとの結果である。
物体はそのうちに神のロゴス(自然を貫く理性的法則、摂理)を含むことで相互に働き合っているので、自然のすべては自然の摂理によって、原因と結果の関係においてかかわり合っていることになります。そうであるならばこの世のすべての事象はすでに決定されていることでしょう。決定論は可能性とか偶然とかを排除するようにみえるかもしれませんが、人間が全ての原因を知っていることなどありえないので、人間にとっては世界の現れは決定などされていないことと同然です。
決定論には納得のいかなさが残るけれども、反論はなかなか難しいものです。量子力学に従って、電子の位置は電子雲の中に確率的にしか決定できないので、構成単位である原子の中に不確実性があり、結果、未来は決定していない、と考えることは可能でしょう。しかし、このように因果関係で世界のありようを判断しようとすること自体に、人間の思考の限界があるのかもしれません。人間の理性の限界を確定しようとする試みは、近代の哲学において、主題として取り上げられることになります。
そしてもう一つ、「存在するものは物体だけである」(2.1節、箇条書き4)となぜ言われていたかが、自然学の考え方からわかります。物体の中に相互にはたらきかける力が含まれていて、そのはたらきは神のロゴス、つまり自然を貫く理性的法則(摂理)なので、物体の中の力とは別に世界を構成する力を想定する必要はありません。物体とは別に何かのはたらきの元になるようなものは存在しないのだから、存在するものは物体だけで十分で、そうすると必然的に指示されるものは物体だけとなります。
現代に生きる我々は、物体とは別に物体に働く力の存在を想定しています。もちろんそのように考えてよいのですが、我々の考え方と違うからといって、古代の理論を思考の対象足りえないものとして切り捨ててしまうのは、重要な思索の取っ掛かりを自ら捨て去ってしまうことになるのではないでしょうか。
2.3 倫理学
彼らは人間の中に自然本性を見て取っていて、自然と調和して生きることを理想としていました。諸国家の法を超える自然法思想を持ち、それを根拠に世界市民(コスモポリテース)の概念を持っていました。ただし諸国家の法を無視したわけではなく、国政を蔑ろにしたわけでもありません。彼らは諸国家の法を超える自然法思想を持ちながら、諸国家の法と関係を持ち続けているわけで、結構な緊張状態の中で生きつづけたことでしょう。その不幸を一身に引き受けたのが、哲人皇帝マルクス・アウレリウスです。
- 参照文献:熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店)
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