ブルート・ファクツ(ありのままの運動)
動物は環境から意味を読み取りながら次の行為を決定しています。彼らの読み取る意味は、彼ら自身の動きにより作り出され、そして身体全体が一体となった知覚システムで受容されます。自身の利用する情報を自身の動きで作り出すといっても、そのための動きもそこから取り出される情報も、その生物種の身体により規定されています。動物の行為の生成を見るために、動物がまず作り出す動作がどのようなものか、みてみることにします。
1.ブルート・ファクツ
動植物はその身体が発達していく過程で、個々の種ごとに現れる「ありのままの運動」を持っています。これをアメリカの生物学者マイケル・ギゼリンは、「ブルート・ファクツ」と呼びます。動植物の運動においては、まずブルート・ファクツがあって、それが環境との間の関わり合いでさまざまに変化していきます。このブルート・ファクツから変化した運動に、我々は環境と一体となった適応的な行動を見ています。
1.1 動物の表情
ダーウィンは動物(高等哺乳類)に見られるブルート・ファクツを記述しようと試みています。例えば「泣く」という表情については、「眼の周囲の強い収縮を中心として顔面全体へひろがるちぢれた波のようなこと」(佐々木正人『アフォーダンス入門』第五章、以下本ページの鍵括弧内の表現も同様)として、「泣き」のブルート・ファクツが記述されます。ダーウィンの考えは、「泣きの表情の中心にあることは、眼をそれを取り囲む筋肉で固く圧縮することで」あり、「はげしく泣く、はげしく呼吸する、くしゃみをする」といった表情によって眼が守られる、というものです。
佐々木によると、ダーウィンが思いついた第二の表情の由来は、「ある表情と正反対」というものだそうです。例示されているのは犬の「敵意」の表現と、それとほぼ正反対である以外の特徴をもたない、「よろこび」の表現です。ダーウィンの著書『表情』では、「苦悩、泣く、鬱、心配、悲しむ、落胆、絶望、喜び、機嫌がよい、愛、やさしさ…」その他多数の表情が扱われています。これらの表情は相互に連関して、「多くの表情がなす大規模な動きのシステム」をなしていると思われます。
人間の「泣き」の表情についても、ブルート・ファクツからの変形として考えることができるでしょう。それぞれの人の泣くときの表情は、それまでの長い時間をかけた独自の変形の結果であり、「泣き」のブルート・ファクツがそのまま表れることはないでしょう。そして変形して現れる独特な泣きの運動の中に、我々は「文化」や「性格」などとよばれることを見い出しています。しかしどんなに独自な変形をしていても、他の人が泣いているのを見て泣いているとわかります。おそらく変形した表情の中にブルート・ファクツのわずかな現れを見て取っているからだと思われます。
1.2 リーチング
今度は子どもの手の動きの発達についてみてみます。アメリカのエスター・テーレンは筋の電気的変化やビデオの画面から手の移動と、速度を記録しました(図1)。彼女は子どもの手の動きに対し、「子どもが気に入っている人形をあやすように目の前に提示されたときに、それを見ながら、何度も安定して手で触れられること」をリーチングとして定義しました。
実験では、ガブリエルとジャスティンの二人の男の子の手の動きが調べられました。ガブリエルは元気のよい男の子で、リーチングをしはじめる1から2週前にリズミカルな「羽ばたき」のような速度のある運動をよく見せていたようです。そして初めてのリーチングのときもこのような、あちらこちらへと方向のさだまらない速度ある動きのままで、手が人形にふれていました。これに対してジャスティンは、あまり手を動かさず、目標に向かって手を伸ばしていました。この研究は、子どもごとに個性ある動き(ブルート・ファクツ)がまずあって、それをもとにリーチングが成立することを示唆しています。
テーレンはさらに二名、合計四名の乳児のリーチングを観察します。観察の結果は、それぞれの赤ちゃんでリーチングの発達の仕方は多様だというものです。
2.ブルート・ファクツのプール
リーチングにおいて、子どもごとの個性ある動き(ブルート・ファクツ)からの発達を観察しました。個性あるといっても、子どもの身体という制限の上で成り立つ個性です。ブルート・ファクツから変化した運動は、一つの行為が多様な経緯で成立することを示していますが、いわゆる「生得性」を否定も肯定するわけではありません。生得的に可能な動作(ブルート・ファクツ)のプールの中で、子どもごとに異なるはじまりの動作から、周りとの関わり合いによって、ある行為へと最終的には収束していきます。
動物の表情も同様にブルート・ファクツからの変形として、種ごとに感情の伝達を可能な程度には、収束して現れています。しかしそこへの収束は個体ごとの歴史的経緯を含むので、その現れのゆらぎの中に、我々は「個性」を読み取っているのでしょう。動物の行為は種による限定と個体の多様性の双方を包含しており、「生得性」と「獲得性」の議論はどちらか一方にのみ視点を合わせることで浮き上がる、恣意的な区別にすぎないと考えられます。
今度は個体の多様性から種の多様性へと少し視点を広げてみます。多様に変化した個体どうしは、相互に影響を及ぼしながら、より大きな多様性のプールをつくりあげています。生命の個体群も、この多様なプールによって、周りの世界との間の接触を保ち続けています。
- 参照文献:『アフォーダンス入門 知性はどこに生まれるか』(講談社学術文庫)
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