宇野重規『民主主義とは何か』書評と要約 - 趣味で学問

宇野重規『民主主義とは何か』書評と要約

評価:

民主主義について歴史や現代の問題点を提示しながら、民主主義とは何かを問い直そうという本です。「民主主義」をどう考えるかは諸説あるようで、この著書では「参加と責任のシステム」として話が進められてます。読みやすい本であり、提示された情報も多い良書だと思いながらも、話のつなぎ方が自分とは合わなかったので評価3にしました。一般には、もうちょっと評価は高めのようです。

下に章ごとの要約を上げておきます。

章ごとの要約

第一章 民主主義の「誕生」

ギリシアのポリスは都市国家であることから、官僚や常備軍、宗教的支配を担う神官を必要とせず、都市周辺で農業を営む人たちが自ら国政を担うようになります。古代ギリシアの民主主義の発展には戦争が大きく関与しており、戦争に参加した市民の貢献により、彼らの資格は拡大していきます。民主主義の発展にはソロンの改革とクレイステネスの改革が大きな役割を担いました。ソロンが行ったのは債務の取り消しと債務奴隷からの解放で、結果として平民層からも国政の中枢に参加する道が開かれることになりました。続くのがクレイステネスの改革で、僭主ヒッピアスを追放し、市民を血縁や地縁によるしがらみから解放し、再編された市民団を都市の政治と直接結びつけるものでした。

すべての事柄について最終的な決定の権限を持つのが民会であり、これはごく一般の市民が参加するものでした(女性、居留外国人、奴隷は除く)。古代ギリシアの民主主義には「参加と責任のシステム」という特性を見ることができます。民会に出席して発言することそれ自体が、市民として誇るべきことであり、その務めであると考えられていました。また政治権力者が不当な権力を行使しないように、権力者に説明などの責任を問う仕組みが成立していました。古代ギリシアの人々は、民主主義の制度と実践についてきわめて自覚的であり、これに誇りをもち、自らのアイデンティティとしていました。

第二章 ヨーロッパへの「継承」

まずイタリアのコムーネと呼ばれる都市国家共和国に、代表制の萌芽をみることができます。一方、西欧では王権による中央集権化が進み、これに対抗する社会の力も強まりました。集権化する国家とそれに抵抗する社会集団の間で力の均衡がとれているときのみ、「国家は社会に対して一定の説明責任をもつことになりました」。この均衡がとれた国の一つがイングランドです。十七世紀の革命を通じて、十八世紀には議会主権が確立し、十九世紀以降に選挙権が拡大しました。一般的な理解と違ってアメリカ「建国の父」たちは民主主義に警戒的だったのですが、フランス人貴族のトクヴィルは、地域の諸問題の解決に参加する市民の活動に、民主主義の力を見いだしています。

第三章 自由主義との結合

民主主義を考えるには、一般的な対象を規定するものとしての法、社会を代表するという議会の機能、実際に政策を実行する執行権の力、これらについて考える必要があります。トクヴィルは民主主義の本質を人々が自ら統治をおこなっていることにあると考え、ジョン=スチュアート・ミルは少数派の声を代表することの意義を強調し、平等に代表されたすべての国民が、すべての国民を統治する体制と考えています。またバジョットは立法権と執行権の対抗と連携の可能性を検討しており、彼によると、政治制度は必ずしも機能的な部分だけで構成されているのではなく、むしろ人々の感情や情緒に訴えかける部分を含んでいなければなりません。

第四章 民主主義の「実現」

近代から現代までの民主主義の議論として、マックス・ウェーバー、シュミット、シュンペーター、ダール、ハンナ・アーレントらの議論を挙げることができます。ウェーバーは強大な権力を持つ大統領制、シュミットは危機において超法規的な役割をはたす独裁、シュンペーターは人民が代表者を選ぶ仕組みとしての民主主義理解、ダールは政党など様々な利益集団の多様性や多元性による支配「ポリアーキー」の考え方を提示しています。アーレントは社会や国民国家からこぼれ落ちてしまったモッブに着目し、彼らは議会制民主主義を見捨て、むしろ自分たちを導く強力な指導者を求めることを示しています。

第五章 日本の民主主義

日本の民主主義の場合、何を基準にして民主主義とみなすか判断が困難です。一つの焦点となりうるのは、幕末における「公論」をめぐる議論の盛り上がりです。横井小楠の身分を超えた公共の討論という「公論」の思想は、下級士族の主導によって実現した明治維新以降の政治にたしかに影響を与えました。幕末においては人々が独自に提案を行うようになり、全国の浪士の交流の結果、「身分」によるのではなく「志」によって結集する「志士」が生まれ、このような横の連帯が明治維新を推進する力となったと考えられています。明治憲法体制には権力分立的性格があり、結果として議会制と複数政党制による政党政治がもたらされたとする考え方が存在します。この考え方が適切であるとすると、近代日本において、少なくとも一度は「政治」が成立したとみなしてよいでしょう。

結び 民主主義の未来

民主主義を考えるために提示される問いは次の三つです。

  • A1「民主主義とは多数決だ。より多くの人々が賛成したのだから、反対した人も従ってもらう必要がある」
  • A2「民主主義の下、すべての人間は平等だ。多数派によって抑圧されないように、少数派の意見を尊重しなければならない」
  • B1「民主主義国家とは、公正な選挙が行われている国を意味する。選挙を通じて国民の代表者を選ぶのが民主主義だ」
  • B2「民主主義とは、自分たちの社会の課題を自分たち自身で解決していくことだ。選挙だけが民主主義ではない」
  • C1「民主主義とは国の制度のことだ。国民が主権者であり、その国民の意思を政治に適切に反映させる具体的な仕組みが民主主義だ」
  • C2「民主主義とは理念だ。平等な人々がともに生きていく社会をつくっていくための、終わることのない過程が民主主義だ」

これらの対立的な問いは、どちらもある程度正しいのであり、両者の間の補完や結び付けが必要となります。

現在、ポピュリズムの台頭、独裁的指導者の増加、第四次産業革命とも呼ばれる技術革新、そしてコロナ危機という四つの危機が存在します。これらの危機に際して、「公開による透明性」、「参加を通じての当事者意識」、「判断に伴う責任」という信念が、民主主義をどこまで信じることができるのかが問われています。

最後に

上の要約を改めて見返すと、自分の関心によって話がつなぎ合わされているのがわかります。著書の意図はある程度汲んだ要約にはなっていると思いますが、自分の関心のあるところを引っ張ってきているので、要約に自分の考え方が入り込んでいるでしょう。重要な知見を提供してくれる著書であるのは間違いないので、内容が気になった人は著書の方を読んでみてください。

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むつきさっち

物理と数学が苦手な工学博士。 機械翻訳で博士を取ったので一応人工知能研究者。研究過程で蒐集した知識をまとめていきます。紹介するのはたぶんほとんど文系分野。 でも物理と数学も入門を書く予定。いつの日か。

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