イギリス経験論の展開 - 近代 - 趣味で学問

イギリス経験論の展開

イギリス経験論で有名な3人において最後、ヒュームについてです。ヒュームは、世界の同一性、人格の同一性に対し、根本的な疑義を提起したとされています。この二つの同一性は、人が世界で生きていくための前提条件といってもよいです。精神医学の本によると、統合失調症では、こういった同一性が瓦解してしまうことがあるみたいです。それでヒュームにそういう傾向が見られたかというとそんなことはなく、むしろお人好し(ル・ボン)で社交界の人気者だったそうです。

1.知覚概念の新しい用法

ヒュームはロックやバークリーに残っていた用語の曖昧さを整理しています。「近代の哲学を読むにあたって」ページでまとめた観念に関わる表をもう一度示します。

概念使用者意味
観念1ロック思考の対象一般
観念2バークリー知覚像と想像心像
観念3ヒューム想像心像(記憶と想像)
印象ヒューム知覚像
知覚ヒューム知覚像と想像心像(バークリーの観念)

まずロックにおいて、観念は思考の対象一般でした。その同じ語を、バークリーは知覚像と想像心像に限定して使用しました。そしてヒュームは、このうちの前者を「印象 impression」、後者を「観念」と名付けて、あわせて「知覚 perception」と呼びました。思考の対象となるもの一般を指す広い概念だったロックの観念を、知覚器で受容される像である印象と、身体内部に起因して現れる観念にわけているのがわかります。

2.観念連合

ヒュームもロックと同じように「生得観念」をみとめていなかったそうです。確かに生得的な想像心像というものは考えづらいです。またロックの「抽象観念」(具体的な知覚から一般として抽象された観念)も批判しました。それは特殊的な観念が、「一般名辞 general term」と習慣的に連結されて、一般的なものと見えているだけ、とみなしていたようです。

ロックもヒュームも、観念が連合されて複合観念となることを認めているのだけど、ロックはそれを一種の誤謬のもととみなしていて、逆にヒュームは、知性を形成するはたらきをもつものとして、積極的な意味を与えています。単純観念が想像の中で自由に結合されると考えることも、その結合が必然的と考えることも、両極端な考え方と思われます。もうちょっと「ゆるやかな力」、結合の規則性のようなものを想定することができます。それは「類似 resemblance」と「時間あるいは場所における近接 contiguity」、さらに「原因と結果 cause and effect」です。

3.因果観念

因果という言葉を例にとって考えてみます。これはある事態とそれに続く事態の間の関係を、概念で表出させたものです。記憶されたある事態と他の事態があって、その二つの間に原因と結果という関係をみいだしているのですが、その「因果」という関係がそれ自体としてあるように我々に現れてきているのは、まさにその「原因と結果」、「因果」といった言葉によってです。経験論の枠組みで考える限り、この因果という観念もまた、観念と観念の結合として説明しなければなりません。

あることが原因である結果がもたらされたと思うには、いくつかの条件が必要です。ヒュームは原因と結果として考えられる対象が時間的に、あるいは場所において近接しているかが必要と考えています。遠隔力など当てはまらない場合もありそうですが、確かに一般にこの条件において因果関係をそこに見いだすことが多いと思われます。また原因が結果よりも先に現れるという条件も必要です。以上二つのことから、場所的に近接して時間に前後して現れることが、因果観念の成立に必要ということでしょう。しかしこれだけでは因果的関係と呼ぶことはできなくて、そこに「必然性」があると感じられなければなりません。その感覚をもたらしてくれるものが、経験やこころの学習によってであるとするのが、ヒュームの考えたことです。

4.人格の同一性

とりあえずものや個体の同一性は、姿が変わっても、それまでの経緯において単一にそのようにありうるということで、同一性を疑うことは普通ないです。では人格はどうでしょうか。

私の意識が捉えるのは、知覚以外のなにものでもないはずです。そして熟睡しているときには、知覚を捉えることはできず、私という人格が存在していません。私の身体は寝る前と後とで同一といってよいですが、人格の方は、寝る前後で一度意識が消えてしまっているので、寝る前と後とで同じとは断言できません。記憶を共有することで、私という同一の人格であると錯覚しているだけかもしれません。「人間とは、とらえがたい速さでつぎつぎに継起する、永続的な流れと運動のうちにある、さまざまな知覚の束あるいは集合であるにすぎない(nothing but a bundle or collection of different perceptions, which succeed each other with an inconceivable rapidity, and are in a perpetual flux and movement)。」(熊野純彦『西洋哲学史 下巻』第六章)。ヒュームがここで言っていること自体は、正しいと言うべきでしょう。

5.イギリス経験論からドイツ観念論へ

我々はすでに因果関係のような観念(知性)を得ているので、こういった観念が当たり前のように成立すると思いがちです。でも少し考えればわかるように、2歳や3歳の子どもが成人と同じように因果関係を事態にみいだしているとはとても思えません。イギリス経験論では、それまで当たり前のように考えられていた基本的観念(知性)を、あくまで生成されるものとしてその瞬間を理性により写し取ろうとしていたと考えられそうです。

ヒュームはイギリス経験論の完成者とみなされることもありますが、ロックからヒュームまで単純に議論がつながるわけではなく、単純化され過ぎた一面的な図式かもしれません。そしてこれも一般に言われているほど単純な関係ではないのですが、ヒュームの仕事はカントへと引き継がれていきます。

参照文献:熊野純彦『西洋哲学史 近代から現代へ』(岩波書店)

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むつきさっち

物理と数学が苦手な工学博士。 機械翻訳で博士を取ったので一応人工知能研究者。研究過程で蒐集した知識をまとめていきます。紹介するのはたぶんほとんど文系分野。 でも物理と数学も入門を書く予定。いつの日か。

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