木田元『反哲学史』書評と要約
木田元『反哲学史』 評価:
おそらく日本で最も読みやすい哲学入門書である、木田元『反哲学史』の書評と要約です。古代から近代の哲学をその連続性に焦点を当てて、大胆にその歴史的経緯を要約してあります。書かれていることはかなり絞ってありますが、その内容自体は高度な哲学的思索を十分に含んでいます。そのため全体としては読みやすいけど部分的には難解なところもあったりします。とりあえず哲学がどういうものか覗いてみるには最適な本でしょう。私自身、哲学書を読み始めて早い段階でこの本を手に取らなければ、早々に挫折していたでしょう(今挫折中なんですが)。
1.各章ごとの要約
全11章構成で、下に章ごとの要約を上げておきます。なお鍵括弧で括った部分は、著書での表現を抜き出したものです。
はじめに
一般に20世紀の哲学者は自分たちのおこなっている思想的営みを「哲学」と呼ぼうとしなくて、西洋哲学の「批判」や「解体」を目指す運動を「反哲学」の言葉で要約できそうです。西洋文化形成のイデオロギーであった哲学を日本で勉強することにはある種の奇妙さがあるのですが、「反哲学」の立場に立ってみれば、われわれも西洋人と同じ土俵でものを考えることができるのではないでしょうか。
第一章 ソクラテスと「哲学」の誕生
「哲学」という言葉のもとになった英語の「philosophy」は、ギリシア語のphilosophiaが語源で「知を愛すること」つまりは「愛知」という意味です。この言葉を使い始めたのがソクラテスで、このギリシア語としてみても不自然な抽象名詞は、彼が「ソフィスト」との論争の中で持ち出してきたものです。
第二章 アイロニーとしての哲学
ソクラテスが愛知者としてソフィストに問いかけてゆくその問答の仕方は、当時のアテナイ市民たちにより「エイローネイアー」と呼ばれており、これがアイロニーのもとになった言葉です。ソクラテスのアイロニーは、単なる「皮肉」というものではなく、「その立ちかえった本質をさえもさらに仮象として否定するといったふうに、そのアイロニカルな否定が無限に繰りかえされる」、無限否定性というべきものです。
第三章 ソクラテス裁判
ソクラテスは現実政治の場においても無限否定性としてのアイロニーを貫こうとしました。「ソクラテスが否定しようとした古いものとは、おそらく当時のギリシア人がものを考え、ことを行う際に、つねに暗黙の前提にしていたもの、つまり彼らがありとしあらゆるもの、存在者の全体を見るその見方だったと思われます。」
第四章 ソクラテス以前の思想家たちの自然観
ソクラテス以前の思想家たちが使っていた「フュシス」という言葉は「運動する存在者そのものに内属しているその運動の原因、たとえば生命のようなもの」です。すべての自然運動のみならず、人間社会や国家(ポリス)、そして神々でさえもフュシスの原理に支配されていると考えられていました。このようにフュシス(自然)は生成、運動の原理のようなもので、ヘラクレイトスはその秩序をlogos(ロゴス)と呼んでいます。彼らフォアゾクラティカーの思索はフュシスとノモスの間にある厳しい緊張関係を含むのですが、ソフィストたちの間では失われてしまいます。ソフィストたちは、ノモスはフュシスからの逸脱であり、仮象にすぎない人間社会だけに眼を向けるという方法をとりました。ソクラテスがアイロニーという形で否定しようとしたのは、このような堕落したかたちで受け継がれていた自然(フュシス)的存在論だったと思われます。
第五章 プラトンのイデア論
イデア論は政治的、実践的な関心に強く動機づけられたものです。イデアもエイドスもだいたいは「形」を意味する言葉でした。プラトンは、イデアは永遠に不正不滅で、感覚的個物からなる現実世界を超えて、永遠に変わることのないイデアだけからなる世界を想定していたようです。
机を例にとると、職人が机を作るときに目に浮かぶ形のようなものがイデアです。プラトンの考え方からは、すべての個物はイデアから借りてこられた形相(エイドス)と一定の質料(材料)との合成物である、という彼の考え方が読み取れます。プラトンそのものではなくプラトンのイデア論をもとにした考え方においてですが、自然が単なる質料(ヒュレー)と考えられることになり、ここからいわゆる「物質的自然観」が成立することになります。そして存在の「本質存在(…デアル)」と「事実存在(…ガアル)」への分離と、事実存在に対する本質存在の優位が確立されることになりました。
第六章 アリストテレスの形而上学
アリストテレスの思索のねらいは、プラトンの思想を批判的に修正しながら継承することにあります。プラトンの制作的存在論はギリシア古来の自然(フュシス)的存在論と対立するものとみなされていました。アリストテレスはプラトンを批判的に摂取し、プラトンの「形相」と「質料」を修正して自然的存在者にも適用しうるものにすることで、制作的存在論と自然的存在論との間の調停を図ろうとしました。
アリストテレスは「質料-形相」という関係を「可能態-現実態」という図式に読み替えています。たとえば森の中の樹は材木になる可能性を含んでいて(可能態)、そこから切り出された木材は可能性を現実化されたある姿、現実態だと考えられます。彼には「すべての存在者はそのうちに潜在している可能性を次々に現実化してゆくいわば目的論的運動のうちにある」という考え方があり、その世界像は動的に変化していくかなり広い意味での生物主義的世界像です。
第七章 デカルトと近代哲学の創建
デカルトはガリレイらの考え方を受け継ぎ、近代の機械論的自然観を確立します。デカルトは方法的懐疑によって、身体から実在的に区別された純粋な精神としての私の存在を確信します。そして人間の理性は、「神の理性のミニチュア」であり、人間理性が生得的に持つ諸観念は、世界創造の設計図ともいうべき神の諸観念の部分的な写しのようなものと考えられています。このことから人間理性に生得的な観念と、世界を貫く理性法則とは神を媒介にして対応し合っていると考えられるので、数学的諸観念のように経験とは無関係な生得観念が、自然的対象にも適用しうる、そのように彼は考えています。
第八章 カントと近代哲学の展開
イギリス経験論は形而上学の行き過ぎを批判して経験主義の方向をとりました。彼らは生得的な何かを全部否定したわけではないですが、形而上学的概念としての理性においては生得性を否定し、結果整数の和のような数学的観念も蓋然的真理でしかないことになります。これに対し神的理性の媒介を拒否しながらもなお、「数学や数学的自然科学の確実性、つまりはわれわれの理性的認識と世界の数学的合理性の調和を保証しよう」として、理性の自己批判を行ったのが、カントの『純粋理性批判』です。
カントによると人間理性には制限があり、人間が見ることのできるのは物のそれ自体の姿、つまり「物自体」(Ding an sich ディング・アン・ジッヒ)ではなく、制限を持つわれわれの認識を通してのわれわれへの現れ、つまり「現象」(Earsheinung エアシャイヌング)です。我々の世界認識(現象界)は、物自体に由来する材料(感覚)と、その材料を受け容れ整理するための我々の理性にそなわっている形式(制限でもある)とから成り立っています。物自体によって与えられる材料を受け容れる形式が「直観の形式」(空間や時間など)、そうやって受け容れた材料を整理するのが因果関係などの論理的思考形式、「純粋悟性概念」です。どちらの形式も先天的なもので、数学や理論物理学は「直観の形式と悟性のカテゴリーとの組み合わせによって生ずる現象界の形式的構造についての先天的認識の体系」ということになって、彼は数学および数学的自然科学(ニュートン物理学)の確実性を基礎づけることになります。
第九章 ヘーゲルと近代哲学の完成
シェリングやヘーゲルに代表される哲学が「ドイツ観念論」と呼ばれていて、「人間理性をその有限性から脱却せしめよう」というのがドイツ観念論のねらいです。
ヘーゲルは労働を通して、精神が精神として生成していくと考えています。労働による主体からの働きかけで、対象は主体の思い通りに変わっていくわけではなく、対象からの働きかけにもよって、労働の主体の方もいっそう人間らしい人間に成長してゆきます。「このように対象との直接的統一の関係(正)が破れてそこに矛盾対立(反)が生じ、それが労働を通じてふたたび統一される(合)といったふうにして精神がその自覚を深め、より大きな自由を獲得し、いわば真の精神へと生成してゆくその運動の論理が、ヘーゲルのいわゆる「弁証法」(Dialektik ディアレクティーク)にほかなりません。」
弁証法的な働きかけが進むと、もはや外界に異他的な力として精神に対立するものもなくなり、精神がみることのできないものがまったくなくなるようなとき、「精神は絶対の自由を獲得し、いわば「絶対精神」となり、歴史が完結することになるわけです。」
第十章 形而上学克服の試み
フランス革命後の反動という時代背景から理性主義への批判が高まり、それが後期シェリング、マルクス、ニーチェらの形而上学克服の試みの時代背景になっています。
シェリングは合理的な事物の本質存在は神に由来するが、非合理な事実存在は神よりももっと根源的な神の根底に由来すると考えています。その神の根底となるのは生成する自然のことです。そして彼のいう「人間的自由」というのは、いわゆる自由意志のようなものではなく、生きた自然が生動するその「生」が人間において現れてくる姿のことです。
マルクスはヘーゲルの『精神現象学』を批判的に摂取しています。現実の資本主義では労働者の労働からの疎外により、自然からも疎外されてしまったため、資本主義下での人間の労働により、自然が破壊され荒廃してゆくことになります。本来の労働の弁証法で得られる全面的な真理の立場が、マルクスによって「自然主義」とよばれています。人間も自然の一部なので、人間の労働による人間と自然の間の弁証法的成長も、自然の能動性の発露と考えることもできます。シェリングやマルクスには生きた自然という思考パターンがあり、彼らがなんらかの影響を受けたロマン主義にあった一つの思考パターンなのではないかと考えられます。
ニーチェはヨーロッパの哲学を本質的にはプラトン主義だとみなしており、肉体から分離された精神にのみ近づきうる超自然的原理を設定し、結果19世紀中葉のニヒリズムが生まれてきたと考えています。ニーチェは単なる素材に貶められてしまった自然を、「生きた自然」として復権することでこのニヒリズムを克服できると考えました。ニーチェの「力への意志」の哲学は、古代ギリシア時代の自然(フュシス)観、つまり自然を生きて生成するものと見る自然観を復権することで、形而上学的思考様式やそれと連動している物質的自然観を克服しようとするものです。
終章 十九世紀から二十世紀へ
十九世紀は18世紀末のフランス革命から1920年ごろの第一次大戦あたりまでをつなげて考えた方がわかりやすく、本当に十九世紀らしい期間は、1830年代から1870年代くらいまでです。この時代に別個に技術として発達したものが科学と密接に結びつくことによって、産業革命が可能になりました。またこの時期に力学を中心にして光学、熱力学、電磁気学、化学などを包摂する古典物理学の体系が完成され、「力学的自然観」が成立します。さらに十九世紀後半になると、自然科学の方法を模倣することによって、心理学・歴史学・社会学・言語学といった人間諸科学が実証科学として形成されることになりました。
一方で十九世紀も90年代に入ると、個別諸科学内から実証主義への反逆運動が起こってきます。「二十世紀初頭の哲学思想は、直接間接にこうした個別科学の領域での反実証主義的な方法論的改革の動きに促され、それと連動し、あるいはそれを先取りしながら出発することになります。」
2.まとめ
今回ずいぶん長い要約になりました。全体を流れるのは古代ギリシアにあった生きた自然(フュシス)観に対し、プラトン、アリストテレスに共通するイデア論的な考え方が主流になり、デカルトからヘーゲルまでの近代哲学でも通底していた、ということでしょう。近代形而上学との結びつきの強い数量的自然科学が十九世紀になって猛威を奮いますが、その運動への対抗としてマルクスやニーチェの哲学が生まれ、二十世紀初頭の哲学は科学分野からの数量的自然科学への抵抗と連動することになる、というまとめ方ができそうです。
こういう哲学の歴史として、本一冊で流れが通底しているのは珍しいと思います。かなり読みやすい本ですので(理解できるとまではいわない)、哲学に興味のある人なら最初の一冊にどうでしょうか。
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