佐藤俊樹『近代・組織・資本主義』書評と要約

評価:

マックス・ウェーバーを敷衍しながら、近代社会成立の体系的な説明を試みた社会システム論の本です。壮大な内容の本で、当然わかりやすい本ではまったくないです。文章自体は読みやすいですが、読んでるうちに筋道がわからなくなってきたりします。私の能力不足だけじゃなくて、理論の体系化のところで接続が上手くいってない気はします。

本の構成はⅠ部とⅡ部で大きく分かれていて、Ⅰ部が西欧近代社会の成立についてで、Ⅱ部が日本の近代の成立についてです。個人的な関心からⅡ部の方はあまり興味を引かれませんでした。別に内容が希薄とかではまったくないですが、戦後の日本の分析から現代日本社会(93年発売当初)の変容の予測あたりまではおまけ感があります。

本格的な社会システム論の本であり、最後まで読み切れるという時点で間違いなく良書です。ただし、体系化のところで理論的に不備があるんじゃないかという疑問と最後のおまけ感とで、評価は若干落として3.5にしました。

下にⅠ部とⅡ部ごとにざっとこんな内容という形で要約を上げておきます。

各部ごとのまとめ

第Ⅰ部 近代の「起源」へ

マックス・ウェーバーの考え方では、近代資本主義誕生で重要なのはプロテスタンティズムの合理性です。しかし、実際に近代資本主義を生み出したのは合理性そのものではなくて、組織の合理性と個人の合理性を分離して併存可能とした、社会に広く共有される精神構造の方です。プロテスタンティズムは原罪とその罪を帰着させる自由意思の概念を生み出し、個人が自由意思によって経営体の合理性にしたがうという形式をとります。このことで組織と個人とが原理的に分離、独立して併存するという近代組織を可能にしました。

アメリカ植民地社会では、自由意思により自発的につどう、という性質を持ったゼクテと呼ばれる組織が成立します。ゼクテにおいて、個人をその外部におくことで社会の神の法への無限漸近運動が成立します。そしてゼクテの組織形態から、植民「会社」をもとに、規則によって規則を作る形式合理的な法システムをもち、会社に法人格が与えられたアメリカ植民地社会が作り出されます。

ピューリタン社会では、社会契約論的に自由な個人が契約によって社会を作り出す、という考え方が社会全体で共有された結果、制度の無限更新運動がその内部に引き起こされます。近代も制度の無限更新運動という特徴を持っていて、ピューリタン社会の「個人の自由」がもとになっています。ピューリタン社会では神の存在が前提になっていましたが、近代社会は進歩の観念を利用することで社会秩序の自発的な変更を可能にしています。一度成立してしまえば近代の方が優位なので、近代社会が再帰的に成立することになります。

第Ⅱ部 日本的近代の地平

近世武士は「意地」と「法」の二重基準の中で生きていました。「法」はあくまで主君個人の命令であり、日本の個人ではその自由から社会を導出する経路が存在しません。江戸時代では拡大路線がとれなくなり、個人の自由は人と人の関係によって整流されたり制度によって制御されることで、社会秩序との接続が維持される状態でした。日本では社会の無根拠性が人々の意識の中で信じられていたので、以前の社会制度を簡単に捨てて当時の西欧の制度技術をとりいれることが可能でした。

もともと日本には個人の自由の観念があったのですが、日本近代における個人の自由は選択する主体としての自由といったものではなく、快楽や欲望に従う自由という形をとりました。このように個人の自由が欲望の自由とされた結果、自由のうちに秩序性の根拠をおくことが不能となりました。こうして社会の根拠を個人以外のところに探すことになり、次の四つのタイプの社会形態として出現しました。「欲望自由主義」(α)、「法の社会工学」(β)、「心情の政治学」(γ)、「超共同体論」(δ)の四つです。基本はβ型で、これらは江戸時代にすでに用意されていました。工学的機構の根拠を持たないため、心情の政治学と特異点としての天皇が必要とされました。

第二次大戦後、アメリカの庇護下、軍備の浪費を免れたおかげで日本経済は復興を遂げます。日本の戦後社会は市民軍を持つに必要な理念も、軍隊を否定するのに必要な理念ももたないまま、経済発展のおかげで欲望自由主義社会が確立されます。しかし石油ショックをもとにする断続的な不況などもあり、欲望自由主義は曲がり角を迎え「間人主義」が広く浸透します。これらはいずれも日本近世の社会形態をもとにしています。現在でも、我々は個人と社会の形式を模索し続けています。

追記

上の第Ⅰ部要約をさらにまとめると下のようになりそうです。

原罪と自由意思の概念の発明から、組織の合理性と個人の合理性の分離と併存が可能になり、自由な個人が契約によって社会を作り出す、という考え方が社会全体で共有される。その結果社会制度の無限更新運動がその内部に引き起こされることになる。近代社会では、ピューリタン社会の神の存在に代わって、進歩の観念を利用することで、社会秩序の自発的な変更が可能となっている。近代社会成立にはピューリタン社会が必要であったが、一度成立してしまえば近代の方が優位なので、近代社会が再帰的に成立することになる。

このまとめだとピューリタン社会から近代社会が生まれるところとか、いろいろと抜けています。そこがちゃんと書かれていたかどうか、もはや自分ではよくわからなくなってます。書かれているんだけど自分では整理しきれない、の方が適切ですかね。そこはもうご自分でご確認ください、ということで下に楽天広告を貼っておきます。

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定積分が表すもの

前回は定積分の計算についてでした。今回は、後回しにしていた、定積分が何を表すのかについてです。結論を言うと、定積分の値は、積分関数、x軸、積分範囲に囲まれた面積を表します(面積計算に関する注意点は次回)。定積分の式を見ながら意味を考えてみます。

\begin{align} \int_{a}^{b} f(x) dx \end{align}

積分記号∫(インテグラル)は合計sumのsから取られた記号だそうです。なので定積分の式は、積分範囲aからbまで、関数f(x)に微小なxの量dxをかけたものを足し合わせますよ、という意味です。図1のように、f(x)dxは細長い長方形の面積であり、これをaからbまでの範囲で足し合わせれば、f(x)、x軸、積分範囲のx=a、x=bで囲まれた面積とよく似た値になってくれそうです。ここでdxの値をどんどん狭めていけば、ほぼ面積と一致してくれると期待できます。このように考えれば定積分が面積の近似式になっていることは、問題なく理解できると思います。

問題はこの計算が関数f(x)の不定積分を使って計算できる、ということの理解が難しいことです。不定積分は微分の逆操作なので、その関数を積分して面積が得られるということは、面積の微分がその関数になっているということでもあります。このあたりの事情を感覚的に理解できればよいのですが、普通の人間では無理です(数学者は感覚的にわかるんだろうか?)。証明は大学レベルの数学が必要なのでここでは省略させてもらいます。数学では、感覚的によくわからない、人が考えても見つけられない関係でも、正当な手続きで得ているならば、自明なものとして使えます。このことによって多様な分野で利用されているのであり、それをよく示してくれている事例です。数学に興味のある方は微分積分の入門書レベルの本を読んでみるとよいと思います。ひとまず高校数学では定積分の式が何を示しているか知っておけば問題ありません。

ここでは定積分の計算と図形的に計算した面積とが一致することを確認して終わりにします。図2の色部分の面積は、下の長方形と上の三角形にわければ簡単に6という値が求められます。定積分の計算をすると下のように6になって一致します。

\begin{align} \int_{0}^{2} (2x+1) dx = [x^2 + x]_0^2\\ (2^2+2)-0=6 \end{align}

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今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』書評と要約

評価:

心理学の今井(敬称略)、言語学系の秋田による共著です。オノマトペに関する研究の紹介に充てた前半と、子どもの言語獲得についての後半の、二つのパートにわかれています。後半もオノマトペを例に使ったりはしてますが、両パートに直接の関係はないといってよいでしょう。前半のオノマトペの紹介は詳細であり、オノマトペに興味のある人にはよい資料となってくれるでしょう。後半の理論的内容の方は、正直言って新しさは感じませんでした。たとえば「ブートストラッピング・サイクル」という言葉が導入されていますが、丸山圭三郎の「言分け」の概念とほぼ同義だと思います。心理学系の人の本でよく思うのですが、よく似た考え方の本が参照にされてなくてなんかもったいないです。調べる文献が違えば労力を大分省けたのにな、と思います。上の評価3はそんな気持ちも入って少し低めの評価になってます。

下に、章ごとにざっとこんな内容、という感じでごく簡単に内容をまとめておきます。

章ごとの内容まとめ

第1章 オノマトペとは何か

オノマトペの定義は「感覚イメージを写し取る、特徴的な形式を持ち、新たに作り出せる語」です。感覚を写し取る点においてアイコンに似ていますが、アイコンが物事の全体を写し取るのに対し、オノマトペでは部分を写し取るという違いがあります。

第2章 アイコン性-形式と意味の類似性

オノマトペのアイコン性には、音に関する様々な特徴との結びつきが見られます。たとえば「あ」と「い」の発音時の口腔の大きさは「あ」の方が「い」よりも大きく、そういった身体感覚との結びつきにより「あ」の列のオノマトペの方が「大きい」をあらわし、「い」がその逆になる、といったふうにです。また、様々な言語のオノマトペが紹介されています。

第3章 オノマトペは言語か

言語に見られる特性として、コミュニケーション機能、意味性、超越性、継承性、習得可能性、生産性、経済性、離散性、恣意性、二重性の10のものがあります。オノマトペでは恣意性と二重性を満たしているか微妙ですが、その他は満たしているといえます。

第4章 子どもの言語習得1-オノマトペ篇

子どもが言葉を知るとき、オノマトペはある対象と音とに結びつきがあることを知る手助けとなってくれます。オノマトペはアイコン性、身体との接地の度合いが大きいので、目の前のあらゆる情報の中でどの対象や性質が今、その言葉で指されているかを知る手伝いをすることができます。

第5章 言語の進化

オノマトペの使用は生育につれ減少していきます。オノマトペのアイコン性は言葉と対象の結びつきを知るのに役立ってくれますが、その身体性により抽象的な意味の使用には向いていません。隠喩や換喩による新しい意味の派生により、抽象的な意味の新たな言葉が増えていきます。一方、アイコン性と恣意性の間において、新たな言葉をアイコンとして同様のサイクルを回すことで複雑な体系をつくっていく、という側面があると考えられます。

第6章 子どもの言語習得2-アブダクション推論篇

ある言葉を習得するときその言葉の一般化範囲も学ばなければなりません。たとえば「開ける」はドアや袋を開けるとは言えても、みかんは開けると言いません。これらの一般化範囲を習得するには、身体をもとにした記号と経験の対応が必要です(記号接地)。一度何か一つでもこの対応が成されれば、これをもとに新たな記号の接地が引き起こされ、語彙が増加していきます(ブートストラッピング・サイクル)。

また演繹、帰納、アブダクションの三つの推論のうち、言葉の習得においては必ずしも正しいとは言えないアブダクション推論を用いて新たな言葉を得ています。推論での誤りは、むしろ知識の創造に不可避なものといえます。

第7章 ヒトと動物を分かつもの-推論と思考バイアス

「AならばX」から同時に「XならばA」を推論するのは本当は誤った推論なのですが、言語の習得のときにはこのような双方向の推論を行っています。言語の習得前の0歳児でもこの双方向の結びつけを行っていることが示唆されていますが、他の動物、チンパンジーなどでもこのような推論はおこなっていません。ここに人間の言語能力の進化に関わるミッシングリンクがあるかもしれません。

終章 言語の本質

ここまでの内容を踏まえて言語の本質的特徴をまとめると、次のようになります。

  1. 意味を伝えること
  2. 変化すること
  3. 選択的であること
  4. システムであること
  5. 拡張的であること
  6. 身体的であること
  7. 均衡的であること

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定積分の計算

定積分が何にあたるかとかは次回に回して、先に定積分の計算の仕方を示しておきます。定積分は限られた範囲での不定積分と思って問題ないです。定積分の計算は下のように行います。

\begin{align} 関数f(x)の不定積分をF(x)とすると、x=aからx=bまでの定積分\int_{a}^{b} f(x) dxは\\ \int_{a}^{b} f(x) dx=[F(x)]^b_a\\ =F(b)-F(a) \end{align}

式で書くと分かりづらい人もいると思いますが、f(x)を不定積分して、xにbを代入したものからaを代入したものを引く、という操作を行っています。具体例の方がわかりやすいので一つ解いてみます。

\begin{align} \int_{2}^{5} x^2=[\frac{1}{3}x^3]^5_2\\ =\frac{1}{3}5^3-\frac{1}{3}2^3\\ =\frac{1}{3}117\\ =39 \end{align}

不定積分で加える積分定数は、不定といってもある一つの定数なので、定数から同じ定数を引いてなくなるため定積分では加えなくてよいです。

計算規則として下のものがあって、規則の意味は定積分が何をあらわすかを知れば自然とわかると思います。覚えやすい規則なので問題なく覚えられるでしょう。

\begin{align} \int_{a}^{b} k f(x) dx = k\int_{a}^{b} f(x) dx\\ \int_{a}^{b} \{f(x) + g(x)\}dx = \int_{a}^{b} f(x) dx + \int_{a}^{b} g(x) dx\\ a < t < bのとき\int_{a}^{b} f(x) dx = \int_{a}^{t} f(x) dx + \int_{t}^{b} f(x) dx \end{align}

計算の具体例を一つ示します。

\begin{align} \int_{2}^{3} \{2x^2+3x+1\} dx = 2\int_{2}^{3} x^2 dx + 3 \int_{2}^{3} x dx + \int_{2}^{3} 1 dx\\ =2[\frac{1}{3}x^3]^3_2 + 3[\frac{1}{2}x^2]^3_2 + [x]^3_2\\ =\frac{2}{3}(3^3-2^3)+\frac{3}{2}(3^2-2^2)+(3-2)\\ =\frac{127}{6} \end{align}

定積分の計算は面倒くさいことが多いです。多少は工夫で楽になりますが、面倒くさいものだと割り切った方がよいでしょう。

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従来の心理学における言語獲得理論

心理学分野にももちろん歴史的経緯があり、それまで基底とされたきた考え方があります。心理学分野で参照されている考え方は、私の専門であった言語処理分野とかなりかぶっていて、そこに関しては私は門外漢というわけではないです。このページでまず、従来の心理学分野での言語獲得理論についてまとめておこうと思います。『新・子どもたちの言語獲得』(小林晴美、佐々木正人編著)を参照にするのは変わりませんが、言語処理分野の例も紹介しようと思います。

1.観念連合による言語の獲得

心理学においてはじめに考えられた言語獲得理論は、観念連合によるものだそうです。観念連合によって何かを説明しようとすることは、欧米においては普通のことで、批判も多様な仕方でされています。観念連合の考え方はある前提条件を有していて、刺戟と感覚または表象の間の一対一対応、判断や思考などの知性による連合などです。詳細は省きますが(現象学ページで説明予定)、表象(観念)と刺激との一対一対応は存在しないし、判断や思考作用で知覚世界を原初的に構成するとは考えられないので、知覚の連合で認識を説明するのは無理があります。

その一方で、言語の獲得においては音声と視覚像の間で、表象や観念が連結されて言葉が獲得されているように思えます。心理学や言語処理分野で引き合いに出される批判はたいてい、不完全な入力しか与えられないのに適切な言語規則を獲得できるので、言語の獲得は知性による観念連合ではない、というものです。

ここで注意しておかないといけないことがあって、問題になっているのは「知性」によるかそうでないか、という観点から議論されていることです。言葉が獲得されるとき、音声などの表象と認識に現れてきている表象の間で、何かしらの対応が生じていることは疑うことができません。その対応関係は原初的に知性によって得られているのではない、というのが彼らの主張です。そして知性によってではなく、生得的な言語モジュールが脳にあるとか、生得的な他者の意図を推測する能力が基盤になるとか、人間関係を含む本人を取り巻く世界との生きた関わり合いの中で意味として対応付けられるとか、何によって言語的対応関係が得られているかが、立場によって異なっていると言えます。

2.生成(普遍)文法

心理学分野で観念連合の次に参照されるようになったのが、チョムスキーらの言語理論だそうです。言語処理分野でもまず参照にされるのがチョムスキーの生成文法だったりします。チョムスキーの理論の大枠はそれほど複雑なものではないです。不完全な入力から適切な言語規則を獲得できるのだから、生得的な言語獲得機構(一般に想定されているのは大脳皮質の構造)があるはず、そしてその機構によりどの言語でも文は木構造として構造化されている、という具合です。このサイトでもチョムスキーの言語理論に批判を加えていくことになりますが、言語獲得に何かしらの生得性が関与していることと、ほとんどの言語が木っぽい構造の文を作るというあたりを否定する気はないです。

問題にしたいのは、特化された言語獲得脳領域とか、完全に解析可能な木構造などです。西欧の学問ではよくあることのようですが、ある種の完全性に重みが置かれ過ぎて、周りとの兼ね合いで結果として上手く収束するような仕組みでは満足されない、という事情があるようです。たとえば文構造は交叉を許さない木構造と当初考えられましたが、実際にはもっと自由なセミ・ラティス構造だろうと言われています。

言葉だけではわかりにくいでしょうから、生成文法と連結されることの多い木構造を例示しておこうと思います。挙げるのは言語処理分野の技術の一つである構文解析の例です。

最初に表1のような対応関係を定めておき、これらを解析したい文の各単語に適用していくと、例文「I saw a girl with a telescope. 」では図1のような構造が得られます。

例文では二つの構造が可能で、どちらもSを根に持つ逆さの木のような形をしています。図1(a)の方では「私は望遠鏡を持った女の子を見た」という意味になるでしょうし、(b)の方は「私は望遠鏡で女の子を見た」という意味になるでしょう(何かあぶない意味の文に見えますが昔から例に出されることの多い文で私が作ったわけじゃないです)。どちらの意味かは文脈によりますが、規則を定めておけば計算機で解析が可能です。で、実際のところこういった仕組みで上手くいくかというと、現実の複雑な文ではかなりの割合で上手く意味のとれない構造を作ってしまいます。ただし、部分的なまとまりをつくって、それを組み合わせてさらに大きな部分的なまとまりにして、ということを繰り返すこと自体は、我々が文をつくるとき、たしかに行っていると思われます。

3.言語に関する生得的な能力

言語に関する何かしらの生得的な能力を疑う人はいないでしょう。人間においてのみ象徴としての言葉を扱うことができるのですから。その生得的な能力とは具体的には何か、というところで意見が相違することになります。それは観念連合の立場なら知性でしょうし、生成文法なら言語モジュールでしょう。現在の発達心理学では、環境へと注意を促す基盤的能力と考えられているようです。もう少しいうと、他者の意図を推測し世界を共有しようとする志向性のようなものです。こちらの考え方を、その元になった研究事例と一緒に提示していく予定です。

参照文献:小林晴美、佐々木正人編著『新・子どもたちの言語獲得』(大修館書店) 書評と要約

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