無限等比級数の和

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1.無限級数

数列の各項を無限に足し合わせていったものを「無限級数」と呼びます。式で表現すると下となります。

\begin{equation} a_1 + a_2 + a_3 + \cdots + a_n + \cdots = \sum_{n=1}^\infty a_n \end{equation}

無限級数にも「収束」と「発散」が定義されていて、無限に足し合わせても有限の値に収束するときは「収束」、そうでないときは「発散」です。また収束するときにその値を無限級数の和と呼びます。

2.無限等比級数の和

等比数列の無限級数を無限等比級数と呼びます。公比によって、無限等比級数が収束するか、発散するかが変わります。結論を先に言うと、公比rが-1<r<1のとき収束、それ以外のときは発散です。

初項a1=1、公比r=1/2の等比数列anで考えてみましょう。

\begin{equation} \sum_{n=1}^{\infty} a_n = 1 + 1 \cdot \frac{1}{2} + 1 \cdot (\frac{1}{2})^2 + \cdots + 1 \cdot (\frac{1}{2})^{n-1} + \cdots \end{equation}

正の数を無限に足し合わせていくので無限大に発散しそうだし、足し合わせる数が急速に小さくなっていくので収束しそうにも思えます。rが1/2なので収束しますが、実際に計算して収束する値を調べてみます。

\begin{equation} a_nの第n項までの和S_n=\frac{a(1-r^n)}{1-r}より\\ S_n=\frac{1\{1-(\frac{1}{2})^n\}}{1-\frac{1}{2}}\\ =\frac{\{1-(\frac{1}{2})^n\}}{\frac{1}{2}}\\ =2\{1-(\frac{1}{2})^n\}\\ よって\sum_{n=1}^{\infty} a_n=\lim_{n \to \infty}S_n=\lim_{n \to \infty}2\{1-(\frac{1}{2})^n\}\\ =2(1-0)=2\\ \end{equation}

無限に正の値を足していっても、最終的に2に収束することが示せました。-1<r<1の範囲では$\lim_{n \to \infty}r^n=0$となるので、常に特定の値に収束してくれます。

関連ページ:等比数列の極限

特殊な値r=1とr=-1のときも確認しておきます。r=1のときはsn = a + a + a + … + aとなるので$\sum_{n=1}^{\infty} a_n$は発散します。r=-1のときはsn = a – a + a – a + …となり、 $\sum_{n=1}^{\infty} a_n$はa(nが奇数)か0(nが偶数)かのどちらかになるので、やはり発散します。以上より、無限等比級数の和についてまとめると次となります。

\begin{equation} -1 < r < 1のとき\sum_{n=1}^{\infty} a_n=\lim_{n \to \infty}S_n=\lim_{n \to \infty}\frac{a(1-r^n)}{1-r} =\frac{a}{1-r}\\ rがそれ以外のとき発散 \end{equation}

3.参照文献

  • 参照文献:文栄堂編集部『これでわかる数学Ⅲ』(文栄堂)

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木村草太『増補版 自衛隊と憲法』書評と要約

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1.評価

評価:

自衛隊を日本国憲法との関係でどのように解釈可能であるかを、必要な部分を抽出しながら簡潔にまとめてくれたありがたい本です。憲法の解釈は一つの条文だけでなく、他の条文との関係も考慮して行わないといけないらしく、そんなことが素人にできるはずもなく、代わりに法学者の木村草太が一般的な解釈を示してくれています。文体も読みやすく、難解なはずの憲法関連書なのにすらすら読み進めることができます。このように素人では手のつけようのない事項に関して、読んで取っ掛かりになる機会を与えてくれており、評価は高めの4.0にしています。

自衛隊関連の話題がほとんどですが、緊急事態条項など、その他の改憲提案についてもまとめられています。その他、ウクライナ戦争を踏まえた戦争と国際法の関係にも言及されています。自分が読んだのは第二版にあたり、2022年に出版されたものですが、現在取りざたされている改憲案と重複する部分も多いです。この著書が、改憲に対する判断の一助になってくれるのは間違いないと思います。

2.章ごとのまとめ

要約するのが難しいので、「こんなことが書いてあった」という感じで章ごとにまとめてみようと思います。

序章 憲法改正の手続き

自衛隊の話に入る前に、まずはどうやって改憲するかについてまとめてあります。改憲の発議には衆院、参院のそれぞれで3分の2の議員の賛成が必要で、改憲には国民投票で過半数の賛成が必要です。次いで国会での発議の手続き、国民投票の手続きについて書かれています。国民投票では、一つの案につき一つの投票用紙が配られて、それぞれの案個別に投票するとのことです。

憲法の基本原理に反するような改正はできず、憲法改正限界と呼ばれているそうです。明文の規定はないが、立憲主義・国民主権・平和主義・基本的人権の尊重・権力分立などの憲法の根本原理に反する改正は、改正限界だとの見解が通説だそうです。

第一章 国際法と武力行使

19世紀の国際法では武力行使が必ずしも違法ではなかったが、20世紀に入り徐々に戦争や武力行使を禁止する条約が結ばれていき、二度の大戦を経て武力行使は原則禁止されるようになったそうです。また、侵略国家が現れたときは国際社会全体で対応することになったのですが、安保理決議がでるまでは個別的自衛権、および集団的自衛権の行使が認められているとのことです。これら自衛権には行使するための条件があり、権利濫用の問題について述べられています。国際法は強制執行する仕組みが未発達であり、例えばウクライナ戦争ではロシアによる主権侵害と国際司法裁判所から判決されていますが、武力行使を止めることができていません。ただしロシアに対する批判は、国際法があるからこそ可能であることが、章の最後に記されています。

第二章 憲法9条とその意義

立憲主義的な憲法は主権の濫用を抑えるためのものであり、軍隊と戦争のコントロール、つまり「シビリアンコントロール」が重要な役割の一つであることが述べられています。日本国憲法では憲法9条がこれを規定しています。問題となっているのは第2項の方で、侵略用でない軍隊や戦力は認めるとする解釈(「芦田修正説」)と、侵略用かどうかは関係なく「軍」一般と「戦力」一般を禁じているとする解釈の二つの解釈があるそうです。9条だけではどちらの解釈も妥当に思えますが、外国の憲法と見比べてみると、芦田修正説には致命的な問題があることが続いています。軍事に関わる権限が憲法のどこにも書いて無くて、これは軍隊をもたないことが前提(「軍事権のカテゴリカルな消去」)だと考えるしかないようです。このように軍隊についての規定がないので、芦田修正説をとると軍隊を憲法でコントロールできないのでとても危険であるとのことです。

第三章 政府の憲法9条解釈

2014・7・1閣議決定から、政府は武力行為一般禁止説をとっていると解釈できて、そこから憲法13条を持ってきているそうです。13条では国が国民の生命・自由等を保証するよう求めているので、外国からの侵略行為に対処できないと、これらの国民の権利が守れないことになってしまいます。そこで我が国の自衛のための措置は憲法9条下でも例外的に許される、というのが政府の考え方のようです。

自衛隊をどう捉えるかについては、戦力だけど13条をもとに例外的に許されるとする考え方と、保有の禁止された「軍」、「戦力」は自衛を超えたもののことで、自衛隊はこれら「軍」、「戦力」にはあたらないという考え方の二種類があるとのことです。政府解釈は後者の方です。そして自衛隊も行政各部に含まれるとされているそうです。

敵基地攻撃能力に関しては、ミサイルが発射されてからでは国民の生存権が守れないので、発射される前に攻撃する能力は、必ずしも9条に反するとはいえないようです。しかし反撃能力保持による周辺国との緊張の高まりなどの危険性も指摘されています。

第四章 裁判所の憲法9条解釈

自衛隊の合憲性について、地方裁判所のレベルでは判断の判決がありますが、最高裁が判断したことはないそうです。代表的な裁判として、恵庭事件、長沼ナイキ訴訟、百里基地訴訟の三つの判決例が紹介されています。

それに対し日米安保条約に関しては、外国が日本国内に基地を設置しても、日本が「軍」・「戦力」を保有したことにはならないとして、日米安保条約を合憲とする最高裁判決(「砂川判決」)があるそうです。

「必要最小限度の実力」は国際情勢により変わるので、日本の核保有が必ずしも違憲とはならないことが「補足」に述べられています。ただし核不拡散条約への署名や、憲法98条2項(国際法規の遵守を規定)によって、核保有は禁止されていることになるそうです。

第五章 自衛隊関係法の体系

憲法ではないですが、自衛隊に関する法律が相当程度に合理的に体系化されているそうです。

憲法9条で禁止されているのは「国家」への「武力行使」で、国家以外の対象への「武器の使用」が禁止されているわけではないとのことです。自衛隊の武力行使が可能なのは、相手国による武力攻撃への着手が認定されたときです。その他、治安維持や災害派遣などについても、要件が法律としてまとめられているそうです。

また、国外で起きる事態に対する行動も、法律で定められているようです。外国軍の武力行使に対する後方支援、在外邦人の保護・輸送、国連の平和維持活動(PKO)に関する活動について規定されていて、自衛隊が海外で武力行使をしないように定められているとのことです。

第六章 2015年安保法制と集団的自衛権

2015安保法制では性質の異なる内容がたくさん含まれていたそうです。このうち重要となる法案が6つ紹介されています(p.130に改定の概要をまとめた表あり)。続いて、問題となった事柄がまとめられています。「法案審議の方法」、「自衛隊員の安全確保」、「弾薬提供・戦闘機給油の解禁」、「事後的な責任追及の手続」の4つです。

これらの問題とは別に、集団的自衛権行使容認は憲法違反だという強い批判があることが述べられています。「存立危機事態」の定義が不明確であり、意味不明な立法を行うこと自体が違憲だとされています。

第七章 自衛隊明記改憲について

p.152-153に2016、2017年の毎日新聞世論調査結果が表にまとめられています。その結果から、多くの国民が自衛隊は憲法9条に反しないが、集団的自衛権の行使には違憲の疑いがあると考えているようなので、問うべきは「集団的自衛権の行使を容認するか否か」ではないかと述べられています。

自衛隊明記の改憲では、自衛隊がどのような組織であるか確定しておかないと、全く意味のないものとなってしまうそうです。自衛隊をどのようなものとして記載するかは、「個別的自衛権限定型」、「集団的自衛権行使容認明記型」、「国防軍創設型」の三つが挙げられています。自衛隊明記改憲の発議を行うには、自衛隊の任務の範囲を明記することが最低限必要なこと、「<第一投票:日本が武力攻撃を受けた場合に、防衛のための武力の行使を認めるかどうか>と<第二投票:日本と密接な関係にある他の国が武力攻撃を受けた場合に、一定の条件の下で武力行使を認めるかどうか>の二つに区分した投票をすべき」(p.160)と考えられています。

第八章 緊急事態条項について

自衛隊とは別に話題となっている改憲項目として、緊急事態条項について述べられています。98条は「「法律で定める緊急事態」になったら、閣議決定で「緊急事態の宣言」を出せ(98条1項)、緊急事態宣言には、事前又は事後の国会の承認が要求されます(98条2項)。」(p.172)。この条文はかなり危険だとのことです。具体的な問題点の説明の後に、次のように問題点がまとめられています。「まず、内閣は、曖昧かつ穏やかな条件・手続の下で、緊急事態を宣言できます。そして、緊急事態宣言中、三権分立・地方自治・基本的人権の保障は制限され、というより、ほぼ停止され、内閣独裁という体制が出来上がります。これは、緊急事態条項というより、内閣独裁権条項と呼ぶべきでしょう。」(p.174)。

一般に外国において、戦争や大災害などの緊急事態における規則は個別の法律として事前に準備されるのが普通だとのことです。さらに緊急事態条項が定められている国でも、その発動条件はかなり厳格なものだそうです。

日本においては内閣が国会を召集する権利があるので、必要な法律があるなら国会の議決を取ればよいこと、また、すでに緊急事態について詳細な法律規定が整備されていることが述べられています。緊急事態に対して本当に必要なことは、法律を使いこなすための訓練、備蓄、各自治体への援助や予算などの確保であろうとまとめられています。

第九章 その他の改憲提案について

話題となっている、その他の改憲提案についてまとめてあります。まず「教育無償化」についてで、「国際人権規約」を日本は批准しているので、高等教育無償化はすでに憲法上の義務であり、どう実現するかを話し合う段階にあるとのことです。

「憲法裁判所の設置」も改憲項目に挙がったことがあり、これは具体的な事件がなくとも違憲立法審査をしてもらえる仕組みが目的だそうです。これには厳格な人事手続が必要となるだろうとのことです。

また、「衆議院解散権制限と憲法53条の期限設定」の問題について述べられています。政府による不当な衆議院解散権行使が行われないように、3つの対応策が挙げられています。憲法の改正の他に、厳格に解散の手続を定めた法律による実現も提案されています。

その他、「参議院合区解消」、「死刑制度」や「原発問題」についても取り上げられています。

3.追記

章ごとに簡単にまとめたつもりがすごい量になってしまいました。でも上のまとめでは判断にまったく足りないと思います。著書では、憲法の条約や法律で重要な箇所がそのまま引用されていて、元の記述に触れることは重要なことだと感じます。それらはぜひ著書を手に取って直に読んでいただけたらと思います。それは書評を書くたびに言ってますが、法に関する著書では特に、憲法や法律の原文に触れることが大事に思えます。

最後にこの著書の一番核になっているであろう第二章と第三章の結論を書いて終わろうと思います。自分は結論を読み取るのにけっこう苦労しました。

  • 自衛隊と憲法の関係:憲法9条から「軍」一般と「戦力」一般は禁止されている。一方、憲法13条から国民の生命・自由等を保証する義務が国にはあるので、外国からの侵略行為に対処するための組織が必要である。9条で禁止されている「軍」、「戦力」は自衛を超えたもののことで、自衛隊はこれら「軍」、「戦力」にあたらない行政組織だ、とするのが政府解釈である。

憲法13条をもとに例外的に自衛のための軍は許される、とする解釈もあるが、軍事権のカテゴリカルな消去のためとても危険なので、こちらの解釈はとられていないみたいです。今までの政府解釈は、憲法全体で整合性がそこなわれないように考慮されていた、ということですね。

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中沢新一『熊から王へ カイエ・ソバージュⅡ』書評と要約

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1.評価

評価:

カイエ・ソバージュシリーズの二冊目です。一冊目に比べて前半の密度がうすく感じて評価は若干辛めの3にしました。一冊通して通底する考え方はあると思いますが、それを見つけ出すのがけっこう大変な感じです。講義録なのでそこらへんは仕方ないでしょう。読みやすさと引き換えの感じはします。

具体的に神話の語り口を載せてくれているし、そこから「対称性の思考」をどう取り出すかを例示してくれています。辛めの評価を与えておいてなんですが、神話の奥底に眠る思想を探り、語りによって形を与える具体的な手つきを垣間見せてくれる、読むに値する一冊ではあると思います。

2.章ごとの要約

下に章ごとの要約を載せておきます。ただ、元の文体のまままとめることができなくて、自分の表現に直しながらの要約になっているのでご注意ください。

カイエ・ソバージュⅠの書評と同様、図表は全て省略しました。また今回は神話を要約に含めることができませんでした。本の性質から、図表と神話の語り口は重要なものなので、それらは著書を手に取って、どのようなものか確認してみてください。

序章 ニューヨークからベーリング海峡へ

神話を持つ社会では、人間は「文化」を持ち、動物は「自然」状態を生きていると考えられていました。その世界では自然に対する野蛮さなどなかったのですが、現在は動植物に対する「野蛮」そのものが社会に組み込まれています。2001年のニューヨークで起こったテロはもちろん野蛮な行為ですが、それを引き付けたのは非対称を押し付ける、現代社会による野蛮なのです。

第一章 失われた対称性を求めて

トンプソン・インディアンの山羊の狩りには様々な掟があって、掟の起源としてある「神話」が語られています。若い狩人が女に誘われついていくと、そこは山羊の住む洞窟であり、女に渡された毛皮を被ると雄山羊へと変わってたくさんの雌山羊と番います。彼が家に帰るとき、その女は次のように言います。

あなたはもう立派な狩人です。あなたは山羊たちが人であるこを知っているので、死体を扱うのに敬意を払わなければならない。雌山羊はあなたの妻であり子山羊はあなたの子どもであるので狩ってはいけない、雄山羊だけ狩りなさい、彼らは肉と毛皮をとられても本当に死ぬのではなく、家に帰ってくるだけなのです。

この神話は彼らの「エコロジー科学」を反映しており、ここには「結婚とは、自分とは異質な生き方をしている人々のことを理解し、共感をもって愛する貴重な機会をあたえてくれるものだ」(p.44-45)という彼らの哲学が語られています。

第二章 原初、神は熊であった

現生人類種の前、ネアンデルタール人やクロマニョン人においても、熊に対する儀式が行われていたと推測されています。狩猟採集民において、熊は森に住む動物たちの首長と考えられていました。その首長である熊を丁重に葬ることで、熊の霊を通して、他の動物たちとの関係も良好になるでしょう。

熊と結婚し、家に戻った少女が、熊の毛皮をかぶせられた途端に熊へと変わり、兄弟たちを殺し子熊を連れて森に返っていく神話があります。こういうことがあって熊は半分人間になり、人々はグリズリー熊の肉を食べなくなった、と伝えられています。現生人類は流動性知性によって、人間が熊になり、熊が人間になる、このような「人間的な心」を持つことになりました。

第三章 「対称性の人類学」入門

最初の現生人類たちは詩や音楽で語り合っていたというルソーの考え方は、あながち噓とも言えません。神話の思考も詩と同じように「比喩」の能力を活用していることが昔から知られています。

実際の狩猟において見えるのは熊を殺している光景です。しかしそのことの意味を、神話のある世界の人々は、人間と熊がお互いにその存在を行き来し、友人として贈り物を送り合う関係として描き出します。贈与を送り合う関係といっても、実際には人間の側の都合で狩りが行われるので不均衡が生じます。神話の論理と現実との乖離をその世界の人々は認識していて、神話にもそれが表現されています。「狩りとはかつて、威儀を正した一種の決闘だったのです。それは、ことばの原初が詩であり、交換のはじまりが贈与であったのと同じように、あらゆる戦いは純粋な状態では、決闘に浄められていくからです。」(p.97)

第四章 海岸の決闘

神話におけるシャチの扱いは熊とは異なるようです。シャチの神話では、シャチが剣を持って獣をもてあそんだり、シャチから手に入れた剣で熊を切りつけて殺したりといった、狩猟世界の倫理から外れた行動が語られます。ウリチの神話で語られる剣は、どうやら日本刀のようで、技術によって壊されてしまった自然との対称性について語られています。人と魚との間に生まれた子に、剣によって傷つけられた熊は自爆的な決闘により、その子と相打ちになることで対称性を回復しようとしています。ここでは一つの「技術論」が語られています。

第五章 王にならなかった首長

シャーマンとは熊となって自然界の力を手に入れた人間のことです。シャーマンは社会の周縁部にいて権力の中枢には近づけないようになっていました。社会の中心、自然に対する文化の中心に位置したのは首長でした。首長は交渉と調停の人であり、気前良さを持ち、弁舌さわやかで歌と踊りを得意とする人がなることができました。平和時に力を持つのは首長ですが、戦時では戦士たちの長である将軍が権力を握りました。彼らの文化では対称性を守るため、首長は将軍としての力を手に入れて「王」となることは決して許されませんでした。

第六章 環太平洋の神話学へ Ⅰ

環太平洋には、移住した人々によって、深いつながりを持った文化が保たれていました。彼らの社会はすでに階層化されて国家の手前まで来ていたのですが、ついに国が作られることはありませんでした。対称性社会の思想を大事にする人々は、様々な方策を用いて、クニが生まれるのをその目前で防いでいました。

第七章 環太平洋の神話学へ Ⅱ

折口信夫は「ふゆ」(冬)をタマ=霊魂が「ふえる」期間だと考えました。彼のタマ論は、寒い時期に行われる日本の祭りと、ボアズによるアメリカ大陸北西海岸インディアンの祭りの記録をもとにしています。

その地方のインディアンは夏と冬で大きく生活形態が変わります。夏の間は冬の準備のための漁労や狩猟、採集の共同生活を送っています。しかし冬になると社会構造が解体され、それぞれの秘密結社にわかれお祭りが行われることになります。

結社の中でもっとも格が高いとされるのがアザラシ結社で、この結社では一人前の結社員になるには人食いである「ハマツァ」になることだとされています。結社員は人食いの親玉「バフバクアラヌフスィウェ」に食べられることで人食いとなると考えられているのです。夏の間は人間が動物を殺して食べる季節で、冬は人間が自然の精霊に食べられる季節であり、ここには対称性社会の倫理が表現されています。

夏の世俗的な季節のリーダーは「首長」であり、冬では秘密結社のリーダーです。また戦士のリーダーとシャーマンもいます。このうち秘密結社、戦士のリーダーとシャーマンは自然の中に隠された力を引き出し身につけた存在です。彼らの社会では首長とその他のリーダーが泰然と分けられていて、一緒になった一つの存在、つまり王となることがないように細心の注意が払われていました。

第八章 「人食い」としての王

階層化の臨界点に達していた彼らの社会のどこかで、自然のものである権力を個人に取り込んだ、王が生まれました。人食いに食べられた人間は個体性を失って人食いになって生まれてきますが、祭りの季節が終わるともとの文化的な生活に戻っていきます。しかし王に取り込まれた人間はクニの民となり、クニの社会の外に出ていくことはできなくなります。

スサノオの神話は王の誕生の複雑なプロセスを、実に明快に表現しています。もともと荒くれものだったスサノオは、人食いである大蛇を倒し、首長の娘と大蛇の体内から現れた剣を手に入れ、王となるのです。

人間に生まれた流動性知性は、対称性の倫理を発達させたのですが、同時にそれを突き破ってしまう力も秘めています。「文化」と「自然」のハイブリットが「文明」であり、そこから「野蛮」が生まれました。「野蛮を生んだのは、文明なのです。国家が野蛮を撲滅することは、不可能です。それは、野蛮の発生を土台にして、国家はつくられているからです。」(p.202)

終章 「野生の思考」としての仏教

国家の権力に対抗するため、新しいタイプの「知恵の教え」を説く人たちが現れました。その教えの一つである仏教は、サーキャ族の王子ゴータマ・シッダールタによって唱えられました。この小さなクニは共和制に近い国家であったとされています。

仏教の基本となるのは仏(ブッダ)・法(ダルマ)・僧(サンガ)です。ブッダは「王者」ではなく、知恵によって人々を導く「勝者」であるといわれています。ブッダは「自然」のもつ無化する力を、「空」として概念化しています。国家の権力もこの空の力によって無に帰し、自然へと還ります。また、僧(サンガ)の共同体により、国家の中に「国家に抗する社会」が組み込まれることになります。

空は人食いであると共に慈悲深い贈与者でもあります。これを聞いてすぐに思い浮かぶのは熊にほかなりません。

補論 熊の主題をめぐる変奏曲

狩猟採集民の移住に伴い、熊神話はその地方の動植物に合わせて変形されていきました。熊のいない地域ではジャガーや蝶がその代わりを務め、熊神話と類似の神話が語られていきます。レヴィ=ストロースは『神話論理』において、変形されながらも変わることのない構造を見出しています。

日本においても、岩手県気仙地方に「鮭の大助」の言い伝えが残っています。鮭の大助に助けられた人が、自分の住む世界の危機に直面したときに、今度は自分が鮭の大助となって自己犠牲の精神を発揮することによって、その世界を救おうとしました。

熊を主題とする神話的思考のさまざまな変奏曲は、「一万年以上もの時間を隔てながら、人間と自然の奥深いつながりを歌いあげるその調べを、私たちのもとへ届けてくれているのです。」(p.244)

3.全体まとめ

ざっと上の要約をもとに本の内容をまとめると次の感じです。

神話のある世界では権力は自然の中にあるものです。熊が象徴としてその権力を体現していて、人食いでありながら恵みを与えてくれる慈悲深いものです。「理性」の領域のリーダーは首長で、自然の権能を取り込んだもう一方のリーダーが戦士、秘密結社のリーダー、シャーマンです。対称性の社会では、これらの二つの種類のリーダーが一つになることがないような仕組みがありました。しかしすでに階層性が十分に形成されていた彼らの社会のどこかで、首長が権力を取り込んで王となりクニが生まれます。「人食い」に食われた人間は「人食い」になって、冬の終わりとともに文化の領域に人として戻ってきます。しかし王という人食いに食われた人間は、国民となってそこから逃れることはかないません。そのうち国家の権力に対抗するため、新しいタイプの「知恵の教え」を説く人たちが現れ、仏教もそんな知恵の一つです。ブッダの説く「空」は人食いであると共に慈悲深い贈与者でもあります。「空」とは「熊」にほかなりません。

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等比数列の極限

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1.数列の極限値

極限を取ったときの収束と発散の場合分けをもう一度示しておきます。

\begin{equation} 収束:\lim_{x \to \alpha}f(x) = \beta\\ 発散: \left\{ \, \begin{aligned} & \lim_{x \to \alpha}f(x) = \infty\\ & \lim_{x \to \alpha}f(x) = -\infty \end{aligned} \right. \\ 極限値なし:「-1, ~1, ~-1, ~1, ~\cdots」など \end{equation}

数列でn→∞のときの極限を考えることができて、やはり収束する場合と発散する場合があります。具体例を四つ示します。

\begin{equation} 一般項a_n=2n-1の場合、a_n=1, ~3, ~5, ~7, ~\cdots \\ \lim_{n \to \infty}a_n = \inftyとなり正の無限大に発散\\ \\ 一般項b_n=-n^2の場合、a_n=~-1, ~-4, ~-8, ~-16, ~\cdots \\ \lim_{n \to \infty}b_n = -\inftyとなり負の無限大に発散\\ \\ 一般項c_n=\frac{1}{n}の場合、c_n=1, ~\frac{1}{2}, ~\frac{1}{3}, ~\frac{1}{4}, ~\cdots \\ \lim_{n \to \infty}c_n = \frac{1}{\infty}=0となり収束\\ \\ 一般項d_n=(-1)^nの場合、d_n = -1, ~1, ~-1, ~1, ~-1, ~\cdots\\ \lim_{n \to \infty}d_n は極限値を持たない \end{equation}

上で示したように数列で項数を無限に大きくしたとき、その数列ごとに結果が収束・発散(極限値あり)、極限値なしのいずれかとなります。

2.等比数列の極限

初項a、公比rの等比数列の一般項はarn-1です。初項a=1として、いくつかrの値を変えて一般項を示すと下のようになります。

\begin{equation} r=2のとき、a_n=1, ~2, ~4, ~8, ~\cdots ,~2^{n-1}\\ \\ r=-2のとき、a_n= 1, ~-2, ~4, ~-8, ~\cdots, ~ (-2)^{n-1}\\ \\ r=\frac{1}{2}のとき、a_n= 1, ~\frac{1}{2}, ~\frac{1}{4}, ~\frac{1}{8}, ~\cdots, ~(\frac{1}{2})^{n-1}\\ \\ r=-\frac{1}{2}のとき、a_n= 1, ~-\frac{1}{2}, ~\frac{1}{4}, ~-\frac{1}{8}, ~\cdots , ~(-\frac{1}{2})^{n-1}\\ \\ r=1のとき、a_n= 1, ~1, ~1, ~1, ~\cdots\\ \\ r=-1のとき、a_n= 1, ~-1, ~1, ~-1, ~\cdots \\ \end{equation}

関連ページ:等比数列

したがって各数列の一般項において、n→∞で極限をとると次のようになります。

\begin{equation} r=2のとき、\lim_{n \to \infty}2^{n-1}=\frac{1}{2}\lim_{n \to \infty}2^{n}=\infty\\ \\ r=-2のとき、\lim_{n \to \infty}(-2)^{n-1}=-\frac{1}{2}\lim_{n \to \infty}(-2)^{n}となり極限値なし\\ \\ r=\frac{1}{2}のとき、\lim_{n \to \infty}(\frac{1}{2})^{n-1}=2\lim_{n \to \infty}(\frac{1}{2})^n=0\\ \\ r=-\frac{1}{2}のとき、\lim_{n \to \infty}(-\frac{1}{2})^{n-1}=-2\lim_{n \to \infty}(-\frac{1}{2})^n=0\\ \\ r=1のとき\lim_{n \to \infty}1^n=1\\ \\ r=-1のとき、\lim_{n \to \infty}(-1)^{n-1}=-\lim_{n \to \infty}(-1)^{n}となり極限値なし\\ \end{equation}

一般項のところで示したように、具体的に数列を書いてみれば、収束、発散は簡単に予測できます。r>1だと値がrを掛けるたびに大きくなって無限大に発散します。r<-1だと絶対値は大きくなっていくのですが、+と-が交互に入れかわるので極限値なしとなります。-1<r<1の範囲なら、rを掛けるたびに小さくなっていくので、無限に繰りかえして0に収束します。r=1なら1をかけても変わらないので常に1、よって1に収束です。r=-1のときは1と-1が交互に現れ続けるので極限値なしです。初項aの値により正と負が逆転する場合がありますが、それを除いて公比rによって決まります。

rの値による収束、発散、極限値なしをまとめると次のようになります。

\begin{equation} 1 < rのとき\lim_{n \to \infty}r^{n}=\infty~(発散)\\ r=1のとき\lim_{n \to \infty}r^{n}=1~(収束)\\ -1 < r < 1のとき\lim_{n \to \infty}r^{n}=0~(収束)\\ r \leqq -1のとき振動~(極限値なし) \end{equation}

高校の参考書にも証明がのってたりするんですが、ここでは証明は省略させてもらいます。

3.参照文献

  • 参照文献:文栄堂編集部『これでわかる数学Ⅲ』(文栄堂)

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大澤真幸『我々の死者と未来の他者 戦後日本人が失ったもの』書評と要約

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目次

1.評価

評価:

2年前ですが、現時点で大澤真幸の最新の著書にあたります。本の内容を一文で表すと、日本人が未来の問題に対して関心が薄い理由は終戦前後での過去の我々との断絶なので、過去の我々との関係を回復すると共に別れを告げる方法はないか、という感じの内容でした。結論から言うと、求めていた「我々の死者」は得ることができずに終わってます。一般の人の感覚からすると、可もなく不可もなくだと思うんですが、この人の文体とか議論の展開の仕方が自分の波長と合うので、かなり楽しめました。

現在の右傾化と呼ばれる時代で、その時代背景を与える心性とそれを解きほぐす手がかりを与えてくれていると自分は思ってますが実際はどうでしょう?ただまあ、刺激的な論考を提供してくれているのは間違いないです。大澤の悪癖というか(それが魅力と感じる人もいるはず)、数学や物理学を用いた比喩がさして論考の助けになってないのは、この本でも変わらずです。でもこの本ではちょっとだけですし、気が向かない人はそのあたりは読み飛ばせばよいだけなので、個人的には一読をお勧めしたいです。

2.全体のまとめ

先に目次で各章でどのようなことが書いてあったか示しておいてから、全体の内容をざっとまとめることにします。

2.1 著書の目次

目次から各章の部分を引くと下となります。

  • 第1章 <死者>を欠いた国民
  • 第2章 トカトントンは鳴り響く
  • 第3章 二段階の哀悼-その意義と限界
  • 第4章 仮象としての大衆
  • 第5章 青みどろだけがいた
  • 第6章 スロウ・ボートは中国に着いたか

第1章が問題提起で、第2章以降は思想や物語から<我々の死者>を探す思索の旅が続きます。第2章が太宰、第3章が加藤典洋、第4章が鶴見俊輔と吉本隆明、第5章が司馬遼太郎、最後第6章が村上春樹です。その他、安彦良和や「鬼滅の刃」など、多数の作品や作家が紹介されています。

2.2 全体のざっとしたまとめ

以下、著書全体のざっとしたまとめです。

日本では環境問題などへの関心が低く、これは<未来の他者>を持てないためです。そしてその理由は現在の日本の礎となった<我々の他者>を昭和の初めに見出すことができないためです。

戦後の日本人は<戦争の死者>を見捨てて西欧の価値観に飛び乗りました。このことは今の我々の価値観も簡単に捨て去られるようなものでしかない、という可能性を残してしまいます(トカトントンの音がきこえる:第2章)。<我々の死者>を取り戻す必要があるわけですが、そのためにはまずアジアの被害者への謝罪のまえに、日本の戦死者への哀悼が必要だと加藤典洋は考えています。日本の戦死者への哀悼と共に、彼らの考えを否定せざるを得ないのだから、そのことを謝罪することにより、かつての日本人の罪を身に受けることを行わなければなりません。そうしなければ、かつてのアジア人への罪を他人事として謝罪を行ったつもりになるだけだからです(第3章)。

こうして我々は戦時の死者たちと連続し、かつその関係を絶たなければならないことになります。戦前の<死者たち>に現在の我々の価値観につながる契機を見出せれば、このことが可能なはずです。鶴見俊輔は「私」の中核、庶民や民衆の中に、国家に抗う「普遍人」としての心性を、また吉本隆明は原像としての大衆を見出しています。これらは<我々の死者たち>として実在してはいません。しかし吉本の用いた、井の中の蛙は井の外に虚像をもつのではなく、井の中にあることで井の外につながっている、という「井の中の蛙」の喩えがヒントを与えてくれます(第4章)。

司馬遼太郎は現在の日本を作り出したと思えるような人物を、小説によってつくり出そうとしてきました。しかし昭和初期の時代の物語だけは描き出すことができませんでした。他の書き手による昭和初期の物語、例えばノモンハン事件を題材にした物語の場合、主人公は日本人たり得なかったり、架空の都市を舞台にしたり、日本軍を敵対勢力とせざるを得ませんでした(第5章)。

唯一、ノモンハン事件を現在の価値観を介入させることなく描いた作家に村上春樹がいます。村上は井の中を通じての「壁抜け」のアイディアにより、日本人により処刑された中国人を反転させた、中国人により処刑された日本人をもって日本人の罪の償いを示唆しています。

『ねじまき鳥クロニクル』の主人公は、革命家として新しい未来の到来を信じているからこそ、他人とは異なる過去をみることができたといえます。この二つのことは別のものではなく、同じものの二つの側面です。ガザ戦争のように、かつての日本が犯した過ちを体現するかのような戦争に対し、日本が仲介者としての役割を積極的に担うことができたとしたら、結果的に、<我々の死者>は<未来の他者>へと接続されることになるでしょう(第6章)。

3.追記

上のまとめは自分が強引にまとめたものなので、ところどころ自分の言葉の使い方になったり、話のつなぎ方が恣意的になったりしてる部分があります。そこはご了承いただくとして、全体の話の流れ自体はかなり正確に写し取っていると思っています。この本の結論は、日本人が未来へと自発的にコミットするために必要な<我々の死者>の回復が、よりよい未来へと自発的に行動することによってしか成し得ないと言っているも同然なので、問題はかけらも解決していません。大澤がそんなこともわからないはずはなくて、わかった上で、この結論を書き記さずにはおかれなかったのでしょう。

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