左翼、保守、右翼の簡略的な定義

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1.簡略的な定義が必要な理由

一般的によく使われるけど、いまいち意味がわからない言葉に「左翼」、「保守」、「右翼」の三幅対があります。意味をよく理解できないのには理由があって、その歴史的経緯から複数の軸で構成された複雑な概念対であるからです。仕方がないことではあるのですが、定義が複雑なために、日本のほとんどの政治家が保守を自認するという、よくわからない状況になっています(2025/11/09時点)。そこで一旦、一般的な定義で一番重要と思える要素を取り出して定義し直してみることにします。

一番重要な要素は、理想郷を想定するかどうか、それがあるとして過去にあったのか、それとも未来に実現すべき目標と想定するかどうかです。この区分により左翼、保守、右翼をすっきり区分できると考えられます(結論を急ぐ人は第3節に飛んでください)。ただし、どうしてもうまく説明できないトピックが出てきてしまうのを、先に断っておきます。

2.一般的な定義

著書やネット情報をざっとみる限り、大まかな考え方は共通しているようです。正確に記述しようとすると膨大な量になってしまうので、多くの情報に共通する部分を抜き出して、ごく簡単な定義を示します。

中心となるのは人間の「理性」を信頼するかどうかです。人間理性を信頼するのが左派で、信頼しないのが保守と右翼です。さらに、人間理性を超える信仰や伝統を重視するのが右翼で、理想社会を断念して秩序を維持しようとするのが保守です。

分類理性に対する態度重視する対象
左翼信頼理性により構築されたシステム
保守否定信仰や伝統
右翼否定現存社会

「理性」というのは欧米由来の概念で、「神」に与えられた「理性」という意味を含み、日本人の思う理性とは少し違った概念です。たぶんわかりづらくしている要因はこの概念を重要概念としたためです。普通に考えて、人間の理性を信頼していないからシステムとして新たに構築する必要があると考える人もいるでしょうし、信仰や伝統は理性的に運営されてきた結果、長い間維持されてきたと考える人もいるでしょう。理性を最重要視した結果として、区分が直観と一致しなくなっているようです。

3.理想郷の時間軸上の位置による定義

わかりづらくしている要因だった「理性」概念を取り除いて、「左翼」「保守」「右翼」を定義してみます。「理性」の代わりに、今度は「理想郷」で区分します。

3.1 理想郷がいつの時代によるかで区分する

目指すべき社会の実在を信じるかどうか、それが存在するとしていつ存在するかで、左翼、保守、右翼を定義してみます。簡単に言うと、左翼が未来志向型で右翼が過去回帰型、保守はそのどちらでもなく現状(現在)維持です。

区分理想郷の時代政治的性向
左翼未来能動的に社会を変革していこうとする考え方。
保守想定しない概ね現状を維持。
右翼過去かつて存在した理想とする制度を再現しようとする考え方。

左翼は、今より社会をもっとよくできる、未来において理想郷が実現可能だと考えるので、現在の社会の問題点を積極的に改善していこうとする考え方、ようするに革新派となります。右翼は、過去に今よりも優れた社会が実在したのだから、その制度を復活させればよい、という考え方です。保守派はどちらでもなく、最適ではないかもしれないけど今の社会はそれなりに存在価値があるから存続しているので、余計な手を加えずマイナーチェンジでなんとかなるだろう、という考え方です。理想郷を想定する時代で区分すれば、左翼が革新派で右翼が天皇制、家父長制回帰を志すこと、そして保守が現状維持であることと、感覚的に一致させられます。

3.2 政策を区分してみる

上の定義はわかりやすい区分になったとは思いますが、政治家や政党を全てこの区分で分類することはもちろんできません。ある人のこの政策は左だけど、あの政策は右なんてことが普通におこります。それから、ある政策や考え方をどちらに区分してよいかわからない、という場合もあります。こういったことはどの定義でも同様です。

いくつか話題に上りやすい政策を分類可能か考えてみます。

トピック区分考え方
憲法九条左翼:護憲⇔右翼:改憲(?)九条を先進的と解釈すれば可能
環境・エネルギー問題左翼:再エネ⇔右翼:原発新技術の確立が必要な再エネとアナログ変換の原発
移民政策左翼:受け入れ⇔右翼:維持多様性を積極的に肯定するかどうか
ジェンダー左翼:多様な性⇔右翼:男女二分性の選択にも自由度を設定するかどうか

感覚的にはっきりわけられるけど、区分理由がはっきりしないのが憲法九条に対する態度です。革新派なら当然憲法に対しても改善を要求するはずで、現在の護憲が左翼で改憲が右翼という構図は逆に思えます。「戦力の不保持」を謳う九条が先進的と解釈すれば一応この区分で矛盾は回避できます。しかし平和主義を盛り込む憲法は世界的にたくさんあるらしく、日本国憲法はわりと標準的な憲法らしいです。そうすると、左翼がより九条の精神を体現するために改憲するべきだと主張するのでない限り、この区切り方は苦しいと言わざるを得ないです。

こんな感じで、左翼が未来派で右翼が過去回帰派とする区分はベストな定義ではないです。それでも現在の政治家や政党を上手く分類するには、とても有益な方法と思われます。

4.参照文献

参照文献:東浩紀・北田暁大編『思想地図 vol.1 特集・日本』(日本放送出版協会)

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竹田青磁『現象学入門』書評と要約

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1 評価

竹田青磁『現象学入門』

評価:

タイトルは「現象学入門」ですが、内容はほぼフッサールについてです。木田元によるとフッサール自身がそれまでの自身の思想を乗り越えていっているとのことですが、そういったことはこの本には全く書いてませんでした。フッサールの思想の変遷には触れず、代わりにフッサールへの批判に対する批判が著書全体に散りばめられてます。話の流れをわかりづらくしている主要因だと自分は思っていて、正直「もったいない」というのがこの本の感想です。

ほぼフッサールの思想に絞って記述されているので、フッサールの思想は詳述されているかと思いきや、反復が多くて記述量の割にはそれほどでもなかったりします。木田元の『現象学』に比べ、記述自体は読みやすいですし、示唆に富む箇所もたくさんあります。<主観>と<客観>の完全一致は可能か、という視点が通底してあり、この問題は本来は考える必要のないものだという結論を導く流れは納得のいくものです。現象学の入門書としてはどうだろうと思いますが、重要な視点を提示してくれているので、他の現象学関連書を読んでいたとしても一読の価値はあると思います。それから本の終わりに25ページに及ぶ現象学用語集があって、これは非常にありがたいです。以上、不満と評価できる点を踏まえて、可もなく不可もない、評価3にしてます。

2.章ごとの要約

各章ごとに簡単な要約を上げておくことにします。

第一章 現象学の基本問題

近代哲学の根本問題として「主観と客観」の二元論が挙げられます。簡単に言うと、今目の前に石ころが見えているとして、この見えている石ころは本当に対象として存在する石ころと同じ存在であると言えるのか、その保証は存在するか、といった問題です。これが根本問題とされるのは、自然科学の仮説検証において、仮説が主観、検証で得られる確証が客観にあたるためです。自然科学においてというよりも、自然科学の方法を人文科学に適用するときに問題が生じます。

デカルト、カント、ヘーゲルの思想を経てこの問題に対して言えることは、<主観>と<客観>の一致を論理的に突き詰めると、極端な「決定論」か極端な「相対論」、「懐疑主義」、「不可知論」のどちらかに行きついてしまうということです。ニーチェは<主観/客観>図式への疑念を理論化し、世の中に千差万別の意見があるに過ぎないのに、なぜ様々な人に共有される共通認識や、議論による「納得」が成立するのか、といった疑問を生じさせます。そしてニーチェが直感的に気づいていたことを引き継いで徹底した考察を加えたのがフッサールです。

第二章 現象学的「還元」について

デカルトが考えたように、「夢」と「現実」を区別する根拠は存在しませんが、しかし実際には我々は心の底では「現実」の存在を確信しています。フッサールは、人間はただ<主観>の内側だけから「正しさ」の根拠をつかみとっている、と考えています。そして重要となるのは主-客の一致の確証などではなく、これが現実であることは「疑えない」という確信がどのように生じるのか、です。そうすると主観の側、独我論的主観からあえて始める必要があり、そこから不可疑性が生じる根拠を求めることになります。「還元」という言葉は以上の事情全般を指すような言葉として考えることができます。

フッサールの「諸原理の原理」は、認識、判断のいちばん底で源泉となるもののことです。フッサールは、直接の経験によるためその人にとって疑うことができない「直接判断」と、直接判断をもとに新しい事態に際しての類推などの「間接判断」に分けて考えています。直接判断を疑ってみた結果、最後に残る疑い得ないものをフッサールは「知覚直観」としています。この概念が指していることは、あらゆる意識表象の中で知覚だけは特別に意識の自由にならないものとして現れることです。そしてこの意識によって自由にならないという性質から、知覚は「疑いえないもの」として現れてくることになります。さらに我々の知覚経験には、私と他人は同じものを感覚しているという直感が働くのであり、これが言葉一般を可能にしている根本的な土台となっています。

第三章 現象学の方法

『イデーン』を読むにあたっての注意点をまとめると8つになります。

  1. 自然的態度、素朴な世界像について:私たちが普段もっている「自然的な世界像」は、空間・時間的な拡がりを持っており、さまざまな価値やエロスを含んだ実践的な働きかけの対象として現れてきます。
  2. <還元>の開始…エポケーの方法:<主-客>問題を解くためには、自然的態度にある<主観/客観>図式の前提を一時的にやめる必要があり、この一時停止が「還元」です。
  3. 「純粋意識」という残余、超越論的主観について:還元の結果、最後に残るのが純粋意識で、これは人間の経験や世界像一般を可能にしているいちばん基礎のはたらきのことです。
  4. 超越論的主観における「世界の構成」:フッサールにおいては人間の直接経験が第一の視線であり、これを対象化する第二の視線がドクサです。そして現象学的還元で得られる視線は第二の視線を対象化した第三の視線です。
  5. 事象は「志向的統一」である…コギタチオ-コギターツム:人間の知覚は微妙な違いをもった射影の連続として与えられるはずですが、実際には「同一の机を見ている」という端的な経験として現れてきます。このことからフッサールは「人間の具体的経験は、「多様な知覚」という素材から意識の「志向的統一」という「はたらき」を通して構成されたものだ」(p.90)と考えています。
  6. <内在-超越>原理:フッサールは「原的な体験」にあたるものを「内在」、”構成された事象経験”を「超越」と呼んでいます。内在というのは、リンゴが赤く感じたというときの「感じた」という疑い得ない側面のことです。超越は「これは机である」とかの同定であり原理的にはいつも可疑的です。
  7. 意味統一としての「経験」…自我という極の意味:人間が生きている世界は、すでに「意味の統一」によっての現われの世界です。フッサールが諸表象の体験流とか絶対的与件と呼ぶのは、それ以上反省されない(意識が自分自身についてその現象の因果を知りえない)限界、という意味でです。
  8. <ノエシス>-<ノエマ>構造:フッサールは心的世界の構成について、「素材」(ヒュレー)と「形式」(モルフェー)の図式で考えています。人間は何かをするとき、つねに何を行おうとしているか把握し続けることでそれが可能となっており、<意識>の「ノエシス的契機」というのはこの志向性をもったはたらきのことです。ノエシス的契機によって事実として意識に現れる<超越>的対象物がノエマです。ノエマは多層的な意味系列として、そのつど意味あるものとして、さまざまにある価値を持ったものとしての現れを持ちます。実際のノエマ的相関者はもろもろのノエシスとノエマが相互に積み重なったものでもあります。

第四章 現象学の展開

後期フッサールの思想を考察していきます。この章での問題点は次の三つです。

  1. 近代的な世界像の成立
  2. 間主観性
  3. 生活世界

実証科学を除いて西洋の学問は19世紀に危機を迎えます。その理由は<主観-客観>問題の謎を解き明かさなかったためとフッサールは考えました。<主観-客観>図式は次の過程から自明なものとみなされるようになったと考えられています。時間・空間的延長の数学化から感性的性質の数式化へと拡がり、生活世界と理念化された世界の解離と逆転が導かれ、心身二元論が成立したためです。

フッサールは、「他我が<私>と同じような存在として実在している」という確信が先で、これが客観世界の存在の確信にもとにあると考えています。<自我-世界>という関係が構成され、それをもとに<他我>が構成され、そしてこれをもとに、それと同時的に成立する客観的世界(客観的時空間)が構成されます。フッサールの他我の考え方の問題点は、<私>の身体了解の「類比」として<他人>の身体が類推されているところです。「他なるもの」の了解において第一の起点となるのは、<知覚>直観ではなく情動的所与と思われます。

生活世界は<私>を中心に拡がる意味、価値の「地平」として与えられます。人間にとっての事物は、固有の意味と価値の秩序の中の存在として、人間の実践的関心に応じて現れてきます。

第五章 現象学の探究

近代哲学は基本的には主観から客観を説明しようとする立場で、フッサールは主観-客観図式の問題を解くにはあえて観念論を徹底しなくてはならないと説いたのですが、これによって最後の独我論者とみなされてしまいました。構造主義、ポスト構造主義による批判もこのような視点からなされています。

サルトルは意識=自由を人間の本質としていますが、フッサールは意識にとって自由にならないものを明証性の根拠として追いつめています。人間の自由というのは意識の自由を行使できるというようなものではなく、人間の世界が一定の秩序を持ちながらその秩序を疑いそのすえに確かめ直すことができるということ、世界がそのような現実感をもって経験されることです。

メルロ=ポンティが直観していたのは、「物質的因果の秩序と心的な秩序の原理はまったく異質で非連続的(非対称的)なものだということ」(p.175)だと思われます。一方、フッサールによると主観と客観は非連続で非対称な関係であり、主観から客観という一方通行的な関係です。

ハイデガーの現象学の方法において、「道具連関」と「気遣い」(ゾルゲ)の重要な二つの言葉があります。気遣いは簡単にいうと、人間が世界に向けている多様な関心・欲求のことです。人は気遣いによって、生のそれぞれの場面に応じて、自分にとっての対象を道具連関として規定しています。そして現存在の気遣いは、必ずなんらかの意味へ向けられています。主観において、多くの主観が共同で何らかの目的を持つのであり、このときさまざまな意味が交換され、共通了解として、つまりある<客観>像として受けとられます。この客観像は客観的実在そのものではないのですが、<主観-客観>問題はこれらを混同してしまうことによって引き起こされています。

現象学-存在論の思想により、<主観-客観>の謎が解明されたことになります。しかし解明というのは、「この矛盾の必然性が十分に了解でき、そのことによってパラドクスとして現れていた謎が奇妙なものとは感じられなくなり、そこには探究すべき問題がなにひとつ残らないというかたちで問題が終わることである。」(p.202)

3.追記

いつになく章ごとの要約が長くなってしまいました。各章を上手くまとめられなかったです。やはり他の著書に比べて、章ごとのまとまりはあまりないと思います。

上の要約は、自分の関心にそって自分がわかりやすいように抜き出してまとめたものです。そのため重要な考え方がかなり飛んで行ってしまっています。ページ冒頭でも書きましたが、本としてのまとまりはよくなくても、重要と思われる考え方が全般に散りばめられています。ぜひご自分で、竹田の思想を著書から引き出してみて下さい。

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ド・モアブルの定理

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1.ド・モアブルの定理

複素数の掛け算と割り算から、ド・モアブルの定理を理解することができます。ド・モアブルの定理を下に示します。

\begin{align} ド・モアブルの定理: (\cos\theta + i\sin\theta)^n = \cos n\theta + i\sin n\theta (nは整数) \end{align}

(cosθ+isinθ)2なら(cosθ+isinθ)に(cosθ+isinθ)をかけるので、絶対値は1のまま、θに+θ回転して、cos(θ+θ)+isin(θ+θ)=cos2θ+isin2θとなります。(cosθ+isinθ)nならこれをn回繰り返すのでcosnθ+isinnθです(図1)。

ド・モアブルの定理そのものではないですが、z=r(cosθ+isinθ)のとき、znはr(cosθ+isinθ)・r(cosθ+isinθ)・r(cosθ+isinθ)…=rn(cosθ+isinθ)nとなって、zn=rn(cosnθ+isinnθ)となります。nが大きいときでも、ド・モアブルの定理を使えば簡単にznを計算することができます。

2.ド・モアブルの定理の利用例

具体例、(√3+i)3を計算してみます。

\begin{align} (\sqrt{3}+i)^3=\{2(\frac{\sqrt{3}}{2}+\frac{1}{2}i)\}^3\\ =\{2(\cos \frac{\pi}{6}+i\sin\frac{\pi}{6})\}^3\\ =2^3(\cos 3 \cdot \frac{\pi}{6}+i\sin 3\cdot \frac{\pi}{6})\\ =2^3(\cos \frac{\pi}{2} +i\sin \frac{\pi}{2})=8(0+i)=8i\\ \end{align}

ド・モアブルの定理を使って高次方程式をとくこともできます。z3=1を満たす複素数zは3つあります。これらをド・モアブルの定理を使って見つけてみましょう。

\begin{align} z=r(\cos \theta + i\sin \theta)とおく\\ z^3=1より\\ r^3(\cos \theta +i\sin \theta)^3=1\\ r^3(\cos 3\theta +i\sin 3\theta)=1^3(\cos 0 + i\sin 0)\\ 両辺を比較して、r=1(r>0より)、3\theta = 0 + 2k\pi(kは整数)\\ \theta = \frac{2k\pi}{3}となり、0\leqq \theta < 2\piだから\theta = 0(k=0)、\frac{2\pi}{3}(k=1)、\frac{4\pi}{3}(k=2)\\ したがってz_1=(\cos 0 +i \sin 0) = 1\\ z_2=(\cos \frac{2\pi}{3} + i\sin \frac{2\pi}{3}) = -\frac{1}{2} + \frac{\sqrt{3}}{2}i\\ z_3=(\cos \frac{4\pi}{3} + i\sin \frac{4\pi}{3}) = -\frac{1}{2} -\frac{\sqrt{3}}{2}i\\ \end{align}

途中、3θ=0+2kπの形にしているところが一番の注意点でしょうか。通常0≦θ<2πの範囲で考えますが3θの値なので2πを超える値も含まれています。なのでいったん+2kπをして一般角まで広げておいてから、θ=2kπ/3のうち0≦θ<2πの範囲に収まるkの値を探す、というふうに求めるのが一般的です。ちなみにx3=1を(x-1)(x2+x+1)=0と因数分解して解を求めてもよいです。しかし高次になるほど因数分解が難しくなるので、その場合はド・モアブルの定理が威力を発揮することになります。

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細胞内共生説(オートポイエーシス論)

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前ページで、原核生物のオートポイエーシス論的記述が細胞システムの記述とほぼ同じでよい、という結論に達しました。今回は、原核生物の共生による現生真核生物が誕生したとする細胞内共生説に対し、オートポイエーシス論を用いた説明を試みることにします。

1.細胞内共生説

まずは細胞内共生説をざっとおさらいしておきましょう。現在は高校生物でも習うほど一般的な考え方として受け入れられています。細胞内共生説をざっとまとめると下のようになります。

  • 細胞内共生説:現存の真核生物のミトコンドリアと葉緑体は、それぞれ好気性細菌とシアノバクテリアが、宿主細胞に入り込み共生するようになったものである。

このように考えられるようになった理由は、ミトコンドリアや葉緑体が独自のDNAとリボソームを持つことが大きいです。そして実際にミトコンドリアや葉緑体の独立性が高く自律的に分裂や融合を繰り返していることがあきらかになっています。宿主細胞の祖先に関しては、現存の生物では古細菌がもっとも系統的に近いと考えられています。共生が成立した時点で、核や小胞体などの細胞小器官を持つ真核生物だったかどうかは、意見が分かれているようです。

ミトコンドリアを持たない真核生物はけっこう存在するようで、ゾウリムシもその一つです。あれだけ高機能な単細胞生物がミトコンドリアを持たないのですが、体制化が進んだ多細胞生物はミトコンドリアを持つので、その後の多細胞生命システムの成立に、ミトコンドリアが大きな役割を持っていたのは確かでしょう。

2.ミトコンドリアと細胞全体との関係

葉緑体と細胞全体の関係はミトコンドリアと細胞との関係で代替できるはずなので、葉緑体は置いておいて、ミトコンドリアと細胞全体との関係を考えることにします。

細胞生物学の本(参照文献1)の情報をもとにすると、ミトコンドリアは独自のDNA、リボソームを持っています。ミトコンドリア自体がタンパク質等を生成しているはずですが、細胞質の方から、解糖で生じた代謝産物や水素受容体、遊離リボソームで作られたタンパク質を輸送されているみたいです。またクエン酸回路の他にも尿素回路とかの代謝経路も持ってるそうです。以上のことから、ミトコンドリア自体が自律的に活動しながらも、細胞環境にも依存しているのは間違いないでしょう。ミトコンドリアと他の細胞小器官、細胞全体との関係はお互いに環境になっていると考えられます。

3.構造的カップリングによる説明

まずミトコンドリアの元になった原核生物のことを「原ミトコンドリア」としておきます。原ミトコンドリアも宿主細胞も個々の細胞であり、別個の細胞どうしによる新たな細胞システムが成立しています。オートポイエーシス論で類似のシステムは多細胞生命体システムです。山下和也による考え方では各細胞の構造的カップリングによって多細胞生命体システムが考案されていました。しかし新たな構成素が器官とされているなど、細胞内共生説にそのまま適用できそうもありません。構造的カップリングによる説明を試みるには、新たな構成素とプロセスを考える必要があります。

関連ページ:多細胞生命体システム構造的カップリング

細胞内共生で何が起こったかというと、原ミトコンドリアの環境(宿主細胞内部)と宿主細胞の環境(主に細胞質)に変化が生じて、両者が自律的に応答することで環境変動と自律的応答状態の閉域(再帰性)が成立して維持されるようになったということです。結局のところ構成素は、両者に共通する環境変動のことで、プロセスの方は、環境変化に対して、自律的に原ミトコンドリアと宿主細胞が応答して、環境を次の状態に変化させることでしょう。環境変動が結果として円環をなしたとき、原ミトコンドリアと宿主細胞を含む新たな細胞システムが成立しているはずです。

ここでいったん細胞システムや多細胞生命体システムを離れ、社会システムを振り返ります。社会システムの構成素は個人そのものではなく個人間のコミュニケーションでした。コミュニケーションと呼ばれるものは、個人が自分の周りの人達の行動を見ながら、目の前の人への対応を自律的に変化させることと言ってもよいでしょう。周りの人たちの行動も環境とみなせるでしょうし、それに加え彼らの活動による実際の周りのものの変化も環境です。ある個人の行動が周りの人の環境を変化させ、次の行動を生み出して連鎖して循環していくこと、コミュケーションを構成素とするシステムとは、実質このような事態のことです。

関連ページ:ルーマンの社会システム論

そうすると個人どうしの構造的カップリングと、原ミトコンドリアと宿主細胞との間の構造的カップリングはそんなにかわらないかもしれません。「原ミトコンドリアと宿主細胞とのコミュニケーション」という表現も可能かもしれませんが、コミュニケーションの定義がないとわけがわからなくなってしまいそうです。「コミュケーション」みたいな簡潔な言葉で表現できれば楽ですが、この言葉は使わないことにします。

以上より、細胞内共生説を構造的カップリングにより記述すると、以下のようになります。

  • 細胞内共生による新たな真核細胞システムの成立:宿主細胞に入り込んだ原ミトコンドリアと宿主細胞双方の環境に変化が生じ、両者の自律的応答による環境変動と応答状態の閉域(再帰性)が成立して維持されるようになったもの。構成素を両者に共通する環境変動、プロセスを環境変動への自律的応答によるさらなる環境の変動をもたらすこととする、原ミトコンドリアシステムと宿主細胞システムの構造的カップリングによる。

実のところ、わざわざオートポイエーシス論で記述する必要があるのかと思えてきます。いったん社会システムの再考まで行った後で振り返ろうと思います。

4.参照文献

参照文献1:江島洋介『これだけは知っておきたい 図解細胞生物学』(オーム社)、Q2-7、Q3-4

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複素数の掛け算と割り算

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1.複素数どうしの掛け算と割り算

複素数どうしの掛け算と割り算は、極形式で考えると理解と計算が容易になります。結論を先にいうと、Z=r(cosθ+isinθ)を掛けるとr倍で正方向(左回り)にθ回転(図1(a))、Zで割ると1/r倍で逆方向にθ回転します(図1(b))。中学数学で-1を掛けると数直線上を逆方向に移動すると学びました。これを180度回転すると解釈すれば、i2=-1でiを2回かけて180度回転なのだからiをかけて90度回転する、と考えると中学数学との接続も可能だったりします。こういう思考実験も楽しいものなので、興味があれば暇なときにやってみてください。

関連ページ:負の数の割り算

2.r倍とθ回転すればよいことの証明

掛け算ならr倍してθ回転すればよい、というのはすごく都合のよい安直な設定に思えますが、実はけっこう簡単な証明でこのことを示せます。せっかくなので下に証明を示しておきます。証明には三角関数の加法定理を使います。

\begin{align} Z_1=r_1(\cos\theta_1+i\sin\theta_1),Z_2=r_2(\cos\theta_2+i\sin\theta_2)とおく\\ Z_1 \cdot Z_2=r_1(\cos\theta_1+i\sin\theta_1) \cdot r_2(\cos\theta_2+i\sin\theta_2)\\ =r_1 \cdot r_2(\cos\theta_1\cos\theta_2+i\cos\theta_1\sin\theta_2+i\sin\theta_1\cos\theta_2+i^2\sin\theta_1\sin\theta_2)\\ =r_1r_2(\cos\theta_1\cos\theta_2-\sin\theta_1\sin\theta_2+i\sin\theta_1\cos\theta_2+i\cos\theta_1\sin\theta_2)\\ =r_1r_2(\cos(\theta_1+\theta_2)+i\sin(\theta_1+\theta_2))\\ \\ \frac{Z_1}{Z_2}=\frac{r_1(\cos\theta_1+i\sin\theta_1)}{r_2(\cos\theta_2+i\sin\theta_2)}\\ =\frac{r_1(\cos\theta_1+i\sin\theta_1)(\cos\theta_2-i\sin\theta_2)}{r_2(\cos\theta_2+i\sin\theta_2)(\cos\theta_2-i\sin\theta_2)}\\ =\frac{r_1(\cos\theta_1\cos\theta_2-i\cos\theta_1\sin\theta_2+i\sin\theta_1\cos\theta_2-i^2\sin\theta_1\sin\theta_2)}{r_2(\cos^2\theta_2-i^2\sin^2\theta_2)}\\ =\frac{r_1(\cos\theta_1\cos\theta_2+\sin\theta_1\sin\theta_2+i\sin\theta_1\cos\theta_2-i\cos\theta_1\sin\theta_2)}{r_2(\sin^2\theta_2+\cos^2\theta_2)}\\ =\frac{r_1}{r_2}(\cos(\theta_1-\theta_2)+i\sin(\theta_1-\theta_2))\\ \end{align}

割り算の証明の方が難しくて、分母分子に(cosθ2-isinθ2)を掛けるのは二乗-二乗の公式とi2=-1を利用して、分母にsin2θ+cos2θ=1の公式を使うためです。同時に分子において、加法定理を使ってcos(θ12)とsin(θ12)の形を作るためでもあります。この辺の操作は、目的の形になるために何が必要か、式をよく眺めて見つける必要があります。こういう式変形はよく必要となるので、証明で練習しておくのも手です。

関連ページ:三角関数の公式1加法定理

3.具体的な計算例

具体例を一つ計算してみましょう。A=1+iとB=√3+iの掛け算A・Bを計算すると下のようになります(図2)。

\begin{align} A=\sqrt{2}(\frac{1}{\sqrt{2}}+\frac{1}{\sqrt{2}}i)\\ =\sqrt{2}(\cos\frac{\pi}{4}+i\sin\frac{\pi}{4})\\ B=2(\frac{\sqrt{3}}{2}+\frac{1}{2}i)\\ =2(\cos\frac{\pi}{6}+i\sin\frac{\pi}{6})\\ A \cdot B=\sqrt{2}\cdot2(\cos(\frac{\pi}{4}+\frac{\pi}{6})+i\sin(\frac{\pi}{4}+\frac{\pi}{6}))\\ =2\sqrt{2}(\cos\frac{5\pi}{12}+i\sin\frac{5\pi}{12}) \end{align}

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