プラトンのイデア論 - 古代 - 趣味で学問

プラトンのイデア論

1.イデア

1.1 プラトン

アテナイの民主制の堕落を、身をもって告発したソクラテスの意志は、その弟子であったプラトンへと受け継がれていきます。ソクラテス同様、プラトンも波乱に満ちた人生を送ったのですが、ここではピュタゴラス教団で数学を学んだこと、アテナイでアカデメイアという学園を創設し教育と著作活動に従事したこと、シュラクサイで理想国実現の政治的実験を行ったことだけ挙げておきます。プラトンの関心は祖国アテナイをいかにすべきかであり、有名なイデア論も政治的、実践的な関心に強く動機づけられて考え出されたものです。そのためイデア論は、実践的理論として構築されたことを念頭において、議論を展開していく必要があります。プラトンの哲学はイデア論の一言で語り尽くせない、「汲めどもつきせぬ泉のようなもの」なのですが、このページでは、ヨーロッパ文化形成の主導力となったプラトンの思想だけを取り出してみることにします。

1.2 イデア論

「イデア」(idea)という言葉の意味ですが、これはidein(見る)という動詞からつくられた言葉で、「見られるもの」つまり「姿」、「形」を意味します。ideinからつくられたもう一つの言葉が「エイドス」(eidos)で、「形」とか「図形」という意味のごく普通に使われる言葉です。ただし日本語訳としては、「形相」という少し抽象化されて気取った言葉が使われています。どちらも形という意味の言葉ですが、プラトンはイデアの方に少し特殊な意味を与えています。われわれの肉眼に見える形ではなく、いわば「魂の眼」によって洞察される純粋な形、つまり、物の真の姿、事物の原型を指すために使われるのがイデアです。

例えば純粋な三角形は二次元の平面上に幅のない直線で描かれた三角形でなければなりませんが、我々が見ることができるのは具体的に描かれたその三角形です。しかし幾何学で三角形を学ぶとき、上のような純粋な三角形なるものを、何らかの仕方で直感しているはずです。プラトンは具体的に見ることのできる三角形の原型、理想的形態、つまり三角形のイデアがあって、それを魂の眼で見ていると言います。さらに、すべての具象的事物にそのイデアを認めるだけではなく、物の性質や関係に関しても、たとえば正しさのイデアとか美しさのイデアといったものを考えています。そしてプラトンは、イデアは永遠に不生不滅で、感覚的個物からなる現実世界を超えて、永遠に変わることのないイデアだけからなる世界を想定していたようです。

イデアとはどのようなものか、「机」を例にとって考えてみます。あるものが「机」の名前で呼ばれるのは、材料とか高さの違いとかがありながらも、ある一定の持つべき形を持っているからです。職人がなぜ机を作れるかというと、一般にあるべき机の姿、つまり机のイデアを視界に置きながら、その形(エイドス)を材料の上に写して作ったからでしょう。一つのイデアをもとに作ったので、材料が違っていたとしても机と呼ばれるものができあがることになります。

これでイデアとしての机と実際に作られた机の二種類の机が考えられるのですが、もう一つ画家がキャンバスに描いた机のようなものが考えられます。これで机と呼ばれるものが「イデアの机」、「職人の作った机」、「画家の描いた机」の三つ出てきたわけですが、この三つとも机のエイドス(形)をそなえたものです。プラトンはこの三つの机のうち、もっとも高い存在性を有しているのがイデアとしての机だと考えています。イデアとしての机を実際に何かに使用したりすることはできませんが、いかなる材料をも介せずとも、机のイデアは存在しているからです。その次に高い存在性を有するのは作られた机で、最後が絵画としての机です。絵画がある瞬間のわれわれへの現れを写し取ったものであるのに対し、実物の机はあらゆる視点に対してその形をわれわれに呈示してくれるからです。

2.実践的理論としてのイデア論

プラトンのイデア論からは、すべての個物はイデアから借りてこられた形相(エイドス)と一定の質料(ヒュレー)との合成物である、という彼の考え方が読み取れます。さらにプラトンは、そうした合成によってつくられた個物において、その存在性を左右するのは、あくまで形相であって質料ではない、と考えているようです。以上のプラトンの考え方が最も適するのは、おそらく制作物の場合でしょう。

丸山真男によると、創世神話は理想型をつくってうまく整理してみると、それぞれ「なる」「うむ」「つくる」という原理によって規定される三つの型に分類できるそうです。「なる」は植物的生成をモデルにしたもので、日本の古来の考え方やギリシア早期の自然(ピュシス)的考え方がここに分類できます。「うむ」は動物的生殖をモデルにしており、万物を「生み出されたもの」と見るローマの神話などがこれに属します。最後の「つくる」は人間の制作をモデルにしたもので、ユダヤ・キリスト教系の世界創造神話がこれに属します。プラトンのイデア論も「つくる」型に所属し、これはギリシア古代のピュシスによる考え方とは明らかに異なっています。

プラトンが当時のギリシア世界では異質な考え方であった制作的存在論を提示した理由は、おそらく政治的実践に関わるものです。ピュシス的自然観からは、国家も成りゆきにしたがうもの、という考え方が出てきますが、プラトンにとっては、国家は理念を目指して積極的に作り上げられていくべきものであったため、実践哲学のための存在論的な基礎付けとしてイデア論が考え出されたと思われます。プラトン自身が晩年はイデア論批判を試みていて、これは実践的哲学から離れてイデア論を展開しようとする弟子に対する警告であったのではないでしょうか。しかし、彼の弟子たちだけではなく、後世の哲学者たちもまた、彼のこの警告を無視してしまったことになります。

3.本質存在と事実存在

プラトンの制作的存在論から、後世においてきわめて重大な、ある考え方が現れてきました。プラトンの考えでは、「すべての個物は、イデアから借りてこられた形相(エイドス)と一定の質料(材料)との合成物」です。形相と質料の区別がつけられるのは制作物の場合で、それに対しその辺に生えている樹木のような自然的事物の場合は、形相と質料を区別することさえ難しいでしょう。このように制作物において可能となる形相と質料の区別と、「個物において、その存在性を左右するのは、あくまで形相であって質料ではない」という考え方から、形相とはそれがなんであるか(本質存在)を決定するもので、質料とはその物があるかないか(事実存在)を決定するものなのだ、という考え方が生まれてきます。この区別は結果として、本質存在(…デアル)の事実存在(…ガアル)に対する優位と、自然を制作の単なる質料とみなす考え方を導き、現代科学の基礎となる「物質的自然観」を生み出すことになります。

  • 参照文献1:熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店)
  • 参照文献2:木田元『反哲学史』(講談社学術文庫)

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むつきさっち

物理と数学が苦手な工学博士。 機械翻訳で博士を取ったので一応人工知能研究者。研究過程で蒐集した知識をまとめていきます。紹介するのはたぶんほとんど文系分野。 でも物理と数学も入門を書く予定。いつの日か。

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