アリストテレスの形而上学 - 古代 - 趣味で学問

アリストテレスの形而上学

古代の哲学者でプラトンと並び称されるのがアリストテレスです。プラトンと同様、その思想は多岐にわたる壮大なものですが、このページではその後のヨーロッパ思想に大きな影響を与えた形而上学的議論だけ紹介することにします。アリストテレスの記事はネットにもたくさん上がっているので、「私がページを書かなくても」と思わなくもないのですが、できるだけプラトンの思想との関係がわかるように書いてみようと思います。より詳細な内容は本どころかネットにもたくさんあるので、より詳しい内容が知りたい人はそちらを探してみてください。

1.アリストテレス

プラトン哲学と対照的な思想とみなされているのがアリストテレスの哲学です。そういう側面は間違いなくあるのですが、二人の関係はもっと複雑です。アリストテレスはマケドニア出身で、老年のプラトンの下、アカデメイアで20年ほど学び、アテナイに戻って学園リュケイオンを開きます。アリストテレスは対話形式や書簡体の本をずいぶん書いたらしいのですが、現在残っているのは講義録だけです。プラトンのような芸術的センスはなかったらしく、アリストテレスの本領が発揮されたであろう講義録だけが残ったようです。

アリストテレスの思索のねらいは、プラトンの思想を批判的に修正しながら継承することにあります。プラトンの「形相」と「質料」のカテゴリーを用いた制作的存在論は、ギリシア古来の自然(ピュシス)的存在論と対立するものとみなされていました。アリストテレスもイデア論の批判から議論を始めています。ただし単純にプラトンの思想に対抗したのではなく、「形相」と「質料」というプラトンの存在論のカテゴリーを修正して、自然的存在者にも適用しうるものにすることで、制作的存在論と自然的存在論との間の調停を図ろうとしました。

2.プラトンからアリストテレスの形而上学へ

2.1 可能態と現実態

プラトンは制作の場をモデルにしており、彼にとって「すべての個物は、イデアから借りてこられた形相(エイドス)と一定の質料(材料)との合成物」です。例えば机においては、木材(質料)の上に「机」の形相を写し取りながら制作していけるのですが、生命のような自律的に変化していくものを、この制作的存在論によって説明することは容易ではありません。

アリストテレスは、質料とはなんらかの形相を可能性としてふくんでいるもの、「可能態(デュナーミス)」の状態にあるものだと考えます。そしてその可能性が現実化された状態を「現実態(エネルゲイア)」と呼びます。つまりアリストテレスは「質料-形相」という関係を「可能態-現実態」という図式に読み替えています。例えば植物の種は可能態にある存在者であり、実った麦の穂は、その可能性が現実化され、現実態においてある存在者とみなすことができます。

もう一つ例を挙げてみます。たとえば森のなかの樹は材木になる可能態にあり、仕事場に置かれている材木はその現実態だと考えられます。さらにその木材は机になる前の可能態であり、机がその現実態ということになり、可能態-現実態の関係はどこまでも相対化されます。ここには、「すべての存在者はそのうちに潜在している可能性を次々に現実化してゆくいわば目的論的運動のうちにある」という考え方を見て取れます。プラトンの永遠不変なイデアによる存在論に比べ、アリストテレスの描く世界像は、最終目的に向かって変化していく動的な存在論です。

2.2 アリストテレスの形而上学

アリストテレスの世界観は、目的論的な側面を有しています。そしてすべての存在者の運動の目的(テロス=終極点)を、アリストテレスは「純粋形相」とか「神(テオス)」と呼びます。この純粋形相は生成消滅を免れた超自然的な存在であり、その限りプラトンのイデアと同質です。古くからギリシア人にとって「万物(タ・パンタ)」を意味してきた「自然」の外に、超自然的原理を設定し、それを参照しながら自然の存在を理解しようとする点において、アリストテレスはプラトンの後継者なのです。またアリストテレスは形相(本質存在)と質料(事実存在)の区別をプラトンから引き継いでおり、存在に厳然とした二つの区別をつけています。20世紀においてハイデガーは、プラトンとアリストテレスによる、この二つの存在の区別とともに「哲学」がはじまったとみなしています。

アリストテレスは「自然学」の講義と、イデア論の批判的継承である「第一哲学」の講義を行っています。そのときの講義ノートが後に、『自然学』と『形而上学』(metaphysica)として編纂されました。この時点では「meta」は「~の後の」の意味で使われており、metaphysicaは「自然学の後の巻」といった意味だったのですが、metaには他に「~を超えて」という意味があったので、metaphysicaが「超自然学(形而上学)」の意味で解釈され、今日までこちらの意味で解釈されています。

3.キリスト教神学へ

プラトンやアリストテレスの時代から千年近く経って、ローマ帝国でキリスト教が国教として認められるにいたり、高度のギリシア哲学的教養を身につけたローマ帝国市民を納得させるために、その教義体系を急速に整備することが必要となりました。キリスト教の教義体系の整備に尽力した人たちは「教父」と呼ばれており、彼らはプラトンやアリストテレスの哲学を有力な下敷きとして利用しました。教父哲学の大成者はアウグスティヌス(Augustinus, 354-430)です。彼は新プラトン主義を経由したプラトン哲学を下敷きにしてこの仕事を成し遂げました。世界創造論を基礎付けるため、プラトンの二世界説が「神の国」と「地の国」の厳然たる区別という形で受け継がれていきます。さらにイデアを神の理性とすることで、イデアにかわってキリスト教的な人格神が、形而上学的原理として立てられることになります。

  • 参照文献1:熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店)
  • 参照文献2:木田元『反哲学史』(講談社学術文庫)

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むつきさっち

物理と数学が苦手な工学博士。 機械翻訳で博士を取ったので一応人工知能研究者。研究過程で蒐集した知識をまとめていきます。紹介するのはたぶんほとんど文系分野。 でも物理と数学も入門を書く予定。いつの日か。

2 thoughts on “アリストテレスの形而上学

  1. <アリストテレスは対話形式や書簡体の本をずいぶん書いたらしいのですが、現在残っているのは講義録だけです。プラトンのような芸術的センスはなかったらしく、アリストテレスの本領が発揮されたであろう講義録だけが残ったようです。>
    アリストテレスの文章は「ラテン語で書かれた最高の文章である」というようなことを何かで読みました。師であるプラトンの著作が残り、アリストテレスの著作が残っていないのは、キリスト教による焚書が原因ではないかと推測しています。そしてアリストテレスの著作を焚書したという事実は、キリスト教にとっての最大の黒歴史の一つでありタブーなのではないかと。もちろん個人的な「憶測」過ぎないのですが。

  2. プラトンとアリストテレスの思想は、かなりの期間にわたってキリスト教神学に用いられ、また場合によってはお互いの思想を否定し合うように利用されてもいたようです。そのため当時の権力者にとって不都合なため焚書の憂き目にあった、ということはあるかもしれません。アリストテレスの著作が焚書の危険にさらされたのは確かなようで、そのときにどちらの形式の本も難を逃れたはずなのに、読まれたのは講義録の方で対話篇などは散逸していってしまったということですから、やはりあまり優れた文章ではなかったのかな、と個人的には思います。

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