木田元『現代の哲学』書評と要約 - 趣味で学問

木田元『現代の哲学』書評と要約

評価:

日本の現象学研究の第一人者、木田元による現代(1960ごろ)哲学の入門書です。木田元の最初の著作らしくて、「あとがき」にもあるようにかなりの筆の勢いで疾走感が通底して感じられます。木田元の著作なので、やはり現象学分野が一番詳細ではあるんですが、フロイトやソシュール、レヴィ=ストロースやラカンにまで言及された広範囲の入門書になってます。現代哲学の入門書は人によって取り上げられる人たちがかなり変わってきて、フロイトやソシュール、ヴァロンといった、通常は哲学者に含まれることのない思想家が紹介されているところに木田の思想自体が現れてきていると言ってよいでしょう。

けっして読みやすい本というわけではないですが、20世紀に通底するヨーロッパ思想を一筋の流れとして表現した、貴重な本であることは間違いないです。木田によるとメルロ=ポンティなどの思想は、興隆する自然科学の基盤となろうとしたものらしく、木田自身にもその思想が基底に流れているように思われます。入門書として優れた本ですが、やはり私には理解が難しくて、私にとっての評価は3.5です。

下に章ごとの要約を載せますが、かなり強引なまとめ方をしています。また、木田の表現のまま要約することはとてもできなくて、私の表現に直すことで木田の文体の妙は飛んで行ってしまっています。そこはご勘弁ください。

章ごとの要約

Ⅰ 20世紀初頭の知的状況

20世紀のヨーロッパでは、知性・理性に対する危機的状況、<数学の危機>や<物理学の危機>、<人間諸科学の危機>と呼ばれる事態が生じます。この結果、普遍的な学問的認識というものは原理的に不可能ではないか、とみなされるようになります。このような事態に陥るということ自体が両価的で複雑な事態で、それをもたらした19世紀の科学的合理主義とヘーゲル流の絶対精神の二つの流れから批判していく必要がありました。

Ⅱ 人間存在の基礎構造

諸学問の<危機>に対し、ゲシュタルト心理学や現象学が批判的に議論を発展させていきました。ある種の先入見に規定された<客観的世界>を前提にして、自然科学も心理学も構築されていたので、我々の生活において世界がそのように現れることそのものを対象として思想を展開する必要が生じます。

ケーラーの類人猿に対する行動観察から、動物行動はその時々のパースペクティブに限定されたシグナルのレベルにとどまり、人間においてはじめて、目の前の直接的な状況から離れた、シンボルのレベルの<世界>が現れていることが、メルロ=ポンティによって考察されました。フッサールの現象学的還元で見いだされる<世界>、つまり幾層にも潜在的な地平を持つ包括された全体的地平のことですが、これもシンボルによって構造化されたシンボル体系としての<世界>と異なるものではありません。

*ハイデガー、サルトルについての記述もあるが省略

Ⅲ 身体の問題

心と身体に明確な区別を考えることはできず、<心的なもの>とか<精神>とよばれるものは身体からの高次の統一形式として現れるものです。そのことは幻影肢や昆虫の脚の代償行為などの心理学的、生理学的知見にもはっきりと現れています。生物にとって<身体をもつ>ということは、一定の環境にはいりこみ、ある企投と融け合って、その環境とかかわりをもちつづけることです。人間においても同様ですが、人間の場合は、個々の反応を末梢部に委ねることで、そういった反応に回収されない心的・実践的空間を獲得しています。階層的な統合化においては、それぞれの階層間において、前の段階が<身体>なのであり、次の段階が<心>なのだといえます。統合化が成功している場合には、われわれの身体は生物学的レベルを超えた高次の弁証法に属するような志向を表現するのですが、統合化がうまくいかないときは心と身体の適切な対応を保つことができなくなります。

*フロイトの性の概念についての考察があるが省略

Ⅳ 言語と社会

思考と言葉とは、決して外的関係によって結びつけられているようなものではありません。言語の習得は、幼児の身の周りの人間との関係や環境と密接に連関しています。言語の習得というのは、それらの構造の再編成といった現象と同じスタイルの現象であり、話し方を学ぶということは、一連の役割を演ずることを学ぶことです。言語の構造は多数の記号の間の差異によって形成されているのであり、言語は思考を直接表出するというよりも、話者と聞き手双方にとって、経験のある種の構造化を実現するものです。言語の場は身体による世界への内属を基盤としているのであり、他人の経験は何よりもまず知覚的なもので、それをもとにして他人の思考としての他者が感受されるようになります。そうしてみると言語は他者との関係を含むもので、言語の獲得は根源的なレベルで相互主観的でかつ社会的なものです。

レヴィ=ストロースは、言語が自然的音声を足場にして構成されたシンボル体系であるのと同様に、社会構造も生物的集団を足場にして構成されたシンボルの体系とみなしています。我々は身体を介して世界とつながっているので、自由を考えるときにもそういった社会構造を踏まえておく必要があります。我々のまわりには我々を様々に性格づける様々な意味の地帯があり、それが主体の疎外やその逆に世界の人間への再統合の基礎も与えてくれます。

Ⅴ 今日の知的状況

1960年ごろまで<マルクス主義か実存主義か>という枠組みがあったのですが、両立場の中でも分裂が起こってきます。実践的必要性から生じたレーニンの素朴反映論に対し、西欧側では実存主義的な弁証法が提示されます。さらに対抗してアルチュセールらの社会構造の理論としてのマルクス主義が提唱されるのですが、結局のところ実存主義的な考え方に回帰してくることになります。

マルクス主義とは異なる潮流として、レヴィ=ストロースやラカンによる構造主義的思想が登場します。<構造主義>はもともとソシュール言語学を元にしていて、合理的に組織された差異のシステムという考え方が<構造>概念の中に取り入れられています。レヴィ=ストロースはヤーコブソンの<構造>概念をもとに、親族の構造や神話の構造の分析を行っており、無意識的な目的をもった一つの全体的な構造や、具体的なものや感性的なものを論理的思考のなかに置き換えてゆく思考形式をそこに見いだしました。また、ラカンは以上のような構造的言語学を通して精神分析を考察しています。精神分析では、言語体系による抑圧が無意識を通して現れる、パロールの場を考えなければいけません。レヴィ=ストロースの用いる<構造>はあくまでモデルであり、それは物でも観念でもない両義的なもので、構造を用いた分析は「事実の展開のうちにおのずから実現される<秩序>ないし<意味>を見いだそうとする二重の意図をもった試み」であることを忘れてはなりません。

追記

繰りかえしになりますが、20世紀前半という時代に通底する思考を元に、幅広くかつ連接を保ちながら各思想を紹介した名著であると思います。現象学の紹介がもっとも詳細で有益であることは間違いないですが、現象学にとどまらずその周辺領域との関係を読み取るには、よい手助けになってくれる本ではないでしょうか。

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むつきさっち

物理と数学が苦手な工学博士。 機械翻訳で博士を取ったので一応人工知能研究者。研究過程で蒐集した知識をまとめていきます。紹介するのはたぶんほとんど文系分野。 でも物理と数学も入門を書く予定。いつの日か。

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