知を愛すること - 古代 - 趣味で学問

知を愛すること

1.「哲学」の誕生

最も有名な哲学者の一人がソクラテスであることに、異論はないでしょう。西洋哲学において重要な人であるのは間違いありません。ソクラテスの思索や言動を見る前に、ソクラテスの作り出した「哲学」という言葉について話をしておこうと思います。

日本語で「哲学」と訳される言葉は、実はソクラテスの作り出した、少し不自然な感じのする言葉です。哲学は英語の「philosophy」の訳で、この語源となったのがギリシア語の「philosophia」です。この言葉の意味は「知を愛すること」、もっと直接的に訳せば「愛知」という意味の抽象名詞です。これはギリシア語としてみても不自然な言葉なのですが、この言葉を使い始めたのがソクラテスで、もちろん、このような不自然な抽象名詞を使い始めるからには、そうするだけの理由が存在します。

日本でさえ有名なソクラテスですが、ソクラテス自身は生涯に一度も本を書き残すことがなく、ソクラテスがどういう思索を行った人なのか、はっきり断定することができません。幸い、生前のソクラテスを見知っていた人たちが、彼のことを詳しく書き残してくれているのですが、人によってそのソクラテス像がまったく違います。ただこれらの資料から共通して取り出せる、ソクラテスに関する事実がいくつかあって、彼が「ソフィスト」たちとの論争に明け暮れていたことは確かなようです。この「ソフィスト」という言葉はもともと「知識人」とか「学者」といった意味なのですが、ソクラテスの時代には、弁論術や詭弁術を高いお金を取って教えていた人たちを指す言葉として使われていました。ソクラテスの用いた「愛知」という抽象名詞は、彼らとの論争の中で持ち出されてきたものです。

知を愛するというのは、知を求め欲するということです。恋する者がその愛の対象を欲するのと同じように、知を愛する者は知を所有していないからこそ知を求めていると、解することができます。そうすると愛知者は知を所有すると愛知者でなくなってしまう、愛知者が愛知者であり続けるには無知にとどまり続けなければならないことになります。しかしこの無知というのは決して頭が悪いということではありません。無知を自覚することで、自分に欠けている知を手に入れようと愛し求め続けることになるからです。「こうして、ソクラテスによれば、哲学(フィロソフィア)とは、「無知の知」、つまりはおのれの無知の自覚の上に立って知を愛し求めることであり、哲学者(ホ・フィロソフォス)とは、それが愛知者であるかぎり無知なる者にとどまる、ということになります。」(木田元『反哲学史』第一章)

それでもやはりこの考え方にはどこか不自然なところが残ります。例えば愛酒家なら酒に入り浸っているはずで、普通の言葉の使い方ではむしろ、愛知者は知に浸り、知を所有している人になります。しかしソクラテスのいう愛知者とは、決して知を保有している人ではありません。ソクラテスがこの不自然な考え方を持ち出してくるのにはやはり理由があって、この愛知者という規定により、彼はソフィストとの論争において圧倒的優位に立とうと思ったからです。無知を標榜するソクラテスは知を標榜するソフィストに対して、あれこれと質問していろいろ答えさせて、その矛盾を指摘し彼らに無知を告白させればよいのです。当時のアテナイの人びとは、ソクラテスのこの独特の論争の仕方を「エイローネイアー」とよんでいました。この言葉はirony(英)といった言葉で受け継がれており、「皮肉」と訳される言葉です。このソクラテス的皮肉がどういったものかを問わねばならないでしょう。

2.「哲学」という訳語

英語の「philosophy」は、日本語では「哲学」と訳されています。最初これは「希哲学」と訳され、philein(フイレイン)=希、sophia=哲と考えれば、「知をのぞみ求める」という意味と解釈できるので、それなりに適切な訳語といえます。ところがその後、なぜか「希」の字が削られて、philosophia(フィロソフィア)の訳語としては不適切な「哲学」が日本語訳として定着してしまいました。

  • 参照文献:木田元『反哲学史』(講談社学術文庫)

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むつきさっち

物理と数学が苦手な工学博士。 機械翻訳で博士を取ったので一応人工知能研究者。研究過程で蒐集した知識をまとめていきます。紹介するのはたぶんほとんど文系分野。 でも物理と数学も入門を書く予定。いつの日か。

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