斎藤環著+訳『オープンダイアローグとは何か』書評と要約 - 趣味で学問

斎藤環著+訳『オープンダイアローグとは何か』書評と要約

評価:

ざっくり構成をまとめると、オープンダイアローグの紹介があり、その基になった理論の紹介というか分析が続き、最後にセイックラ教授による論文3本の日本語訳が載っています。よくまとまっているけど、何か物足りない感じもあります。紹介という観点からこれくらいの方がよいと思うんですが、私個人の評価ということで、評価は普通の3にしました。ちなみに後ろの論文より斎藤の記述の方が読みやすかったです。

本全体の要約を下に上げておきます。

要約

オープンダイアローグとは何か、一言でいうと、対話による主体性の回復です。対話は意見の集約や何かの合意を得るために行うのではなく、対話の過程から一種の”副産物”のようにして治療がもたらされます。オープンダイアローグの対象は主に発症初期の精神病ですが、統合失調症に限定されているわけではないです。

実際の進め方を示しておきます。依頼を受けたら即座にチームを結成して、24時間以内にミーティングを行います。参加者や場所は割と自由ですが、治療スタッフは3年間の家族療法のトレーニングを受けています。そして必要がない限り、行うのは「開かれた対話」のみです。治療に関する決定は対話の場でのみ行われ、決定には本人がかならず関わります。原則薬物は使いませんが、保険として薬物使用と入院も認められています。

臨床の場での注意点を記します。オープンダイアローグの目的は対話を生成していくことなので、客観的な正しさよりも、対話を続けていくための問いかけを行うことが重要です。このときに、相手を一人の個人として尊重する必要があります。問いかけの一例を示しておきます。「あなたは店のなかで『何か盗め』という声を聞いたと言っていましたね。またその声は、あなたをコントロールしようとする何者かの声であるとも。よくわかります。しかしその声について、他の説明を試してみませんか?もし、その声があなたの外側から聞こえてくるものではないと仮に考えられたなら、どんな説明ができるでしょうね?」

オープンダイアローグの理論的枠組みは、三つの詩学「poetics」で記述されます。詩学の一つは「不確実性への耐性」です。最終的な結論が出るまで診断を下さないので、家族、治療者ともにあいまいさに耐えなければなりません。二つ目が「対話主義」です。精神疾患を発症した人の感じる恐怖は言語化不能なもので、対話による言語化の効用を用いて、病的体験を自分の人生に再統合することが結果としての治療につながります。病的な体験が言語化されるような、開かれた問いが必要です。三つ目は「社会ネットワークのポリフォニー」です。オープンダイアローグでは対話の継続の結果として治療がもたらされるのですが、治療をもたらすものは「複数の主体」の「複数の声」によるポリフォニーです。対話というシステムの外部から介入するのではなくて、システムの作動に治療者自身が巻き込まれることで、作動の状態を(結果として)変化させると考えることができます。

オープンダイアローグはポストモダン思想の重要な発展形であり、デリダ、ドゥルーズ=ガタリ、ベイトソン、そしてオートポイエーシスを基礎づけとして持ちます。ここではオートポイエーシスについて簡単に示します。オートポイエーシスの特徴として(1)自律性、(2)個体性、(3)境界の自己決定、(4)入力も出力もない、の四つを挙げることができます。「結晶」を例に挙げると、結晶生成のプロセスがシステムの構成要素であり、生成プロセスの集合がシステム本体です。結晶はむしろシステムの廃棄物であり、作動の結果として積み上がっていくにすぎません。オープンダイアローグでいえば、対話の継続がシステム本体で、”廃棄物”のようなものとして、結果として治療がもたらされます。

本書に収録した論文についても説明しておきます。オープンダイアローグの入門にあたるのが「精神病急性期へのオープンダイアローグによるアプローチ-その詩学とミクロポリティクス」です。オープンダイアローグの技法、背景にある考え方、実施状況とその成果などがわかりやすくまとめられています。二本目に載せた論文「精神病的な危機においてオープンダイアローグの成否を分けるもの-家庭内暴力の事例から」は、具体事例をもとにした対話の方法の論文です。この論文では成功例と失敗例を比較しながら、対話の中身に対する質的な検討を行っています。一言で要約するならば「モノローグよりもダイアローグを!」となるでしょう。最後三つ目の論文は「治療的な会話においては、何が癒やす要素となるのだろうか-愛を体現するものとしての対話」です。この論文から、「身体性」や「感情」こそが、言語を共有するための前提としてきわめて重視されていることがわかります。

ここまでオープンダイアローグの有用性を提示してきましたが、日本への導入には障害が大きく、日本で一般化するには早くて数十年を要すると推測されます。日本での精神科医による抵抗とは別に、オープンダイアローグが西ラップランド地方の文化と深く結びついた、地域特異的な手法である、という懸念があります。セイックラ教授はそうした特異な治療共同体ではなく、マニュアル化の方向を目指しています。オープンダイアローグの方法論的な普遍性も含めて、状況の推移を見守っていく必要があります。

追記

上の要約は、章ごとの要約といった形でまとめるのが難しくて、自分の解釈をもとにちょっと組み替えて書いているのでご注意ください。

オートポイエーシス論的に、対話の継続が本体で結果として治療がもたらされる、とされています。こういう風に、ある分野での事象をオートポイエーシス論的に解釈する、というのは自分がやろうとしていることでもあるので、ここら辺は参考にしたいところです。

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むつきさっち

物理と数学が苦手な工学博士。 機械翻訳で博士を取ったので一応人工知能研究者。研究過程で蒐集した知識をまとめていきます。紹介するのはたぶんほとんど文系分野。 でも物理と数学も入門を書く予定。いつの日か。

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