機械論的自然観
近代の哲学はやはりデカルトを出発点とすべきと思うのですが、まずはデカルトの思想に続いていくその背景を見てみることにしましょう。デカルトは幾何学と代数学を結びつけた解析幾何学を体系化しており、現代の自然科学の基盤を提供しています。デカルトによる自然研究への数学の適用の模索は別に彼から始まったわけではなく、有名なガリレイやケプラーによって準備されたものです。そして彼らもまた、当時の西欧社会の時代背景をもとに思索を行っています。
1.中世哲学からの機械論的自然観の派生
本来は中世哲学や中世の時代背景をもとに考察すべきところですが、私にそのような知識はないので、ごく簡単に話の流れに必要なことのみ記します。
中世哲学においてもアリストテレスとプラトンの思想が色濃く、さらにルネサンス時代の哲学は、ギリシア・ローマの古典やアラビアの科学、ユダヤの神秘主義思想など、実に多様なものの影響を受けていたと考えられています。彼らの思想はだいたいにおいては「生きた自然」というような有機体論的自然観をとっていたのですが、その中の少数の例外のうちに、ガリレイのように自然を主に数量的に見ようとする人たちがいました。デカルトはガリレイらの考え方を受け継ぎ、近代の機械論的自然観を確立することになります。
2.機械論的自然観
機械論的自然観はコペルニクスやケプラーによって準備されてきたものです。特にケプラーは実際の観測結果にもとづいて天体運動の三法則を発見することにより、自然をもっぱら物質的に、そして物質をもっぱら量的関係に即してみる立場を確立しました。力学の領域ではレオナルド・ダ・ヴィンチやガリレイによりそのような方向づけがされています。彼らは経験の重要性と、その経験的認識の結果に数学的表現を与える量的関係をもとめることの重要性を強調しています。ガリレイは「自然界を織りなす単純な要素を分析的に取り出すこと」を「分析的方法」(metodo risolutivo)と呼び、そうして確認された要素を数学的に結合し再び実験で確かめる方法を「総合的方法」(metodo compositivo)と呼んでいます。
自然は感覚的経験によって与えられるもので数学的諸観念はわれわれの精神に備わる「生得観念」とみなされていたので、外的経験の対象たる自然の研究に数学的諸観念が適用されうるということは、決して自明なことではありません。このような方法の存在論的基礎づけの仕事をデカルトが果たすことになります。
デカルトは若いころイエズス会経営の王立学院で、当時としては最高の教育を受けました。しかしそれに飽き足らず当時先端的であったオランダ軍に入隊します。そこでの研究により、経験的認識である自然研究に数学的表現を与えることによって、それに数学的認識のもつ確実性を与えうることの有効性を感じ取ります。当時の数学は天文学や音楽も含まれており、これらの対象に特殊な質料にしばられず、その形式、つまり順序と量的関係だけにかかわる学問を考えることができるにちがいない、とデカルトは考えます。こうした学問が可能なら、たとえば幾何学と代数学を結びつけ、両者を相互表現の関係におくことができるはずです。このような普遍数学探究の途上で解析幾何学が創案されています。
- 参照文献1:熊野純彦『西洋哲学史 近代から現代へ』(岩波書店)
- 参照文献2:木田元『反哲学史』(講談社学術文庫)
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