近代の哲学まとめ1(知覚・認識論) - 趣味で学問

近代の哲学まとめ1(知覚・認識論)

デカルトからニーチェまでで、ひとまず近代の哲学のまとめを行っておこうと思います。このサイトの哲学入門は理工系、特に認知科学系の人たちが少しでも哲学に触れやすくするためという目的で書きはじめました。すでに書きましたが近代の哲学では知性偏重という特徴があって、我々が知りたい知覚や認識の議論とは前提から違っているようです。近代の認識論がどのような前提を持ち、理工系の人間にとっての認識論とどのような解離があるのかまとめようと思います。

1.近代の知覚・認識論

1.1 デカルト

デカルトにとっては真に存在するのは精神のみで、それに捉えられる物体の本質は延長などの量的諸性質です。そうすると物体の色とか臭いとかの感覚的諸性質が現れることををどう説明するか、区分された身体と精神の関係をどう考えればよいのか、という問題が生じます。デカルトは松果体に身体と精神をつなぐ架空の機能を設定していて、一見心身を分離して考えているように見えて、実際は身体なき精神など考えられない(人間の心身の「実体的結合」)と考えています。

関連ページ:デカルトのコギト基体としての人間理性

1.2 十七世紀ごろの形而上学

スアレスは個体を唯一のものとする他のものとの差異を「実体形相」と考え、「ないということ」ではなく「ない」なるものがあると考えています。このイデア主義がこの時代の認識論の特徴で、マールブランシュは知覚や認識をものの本質たる観念(イデ)とその代理である完全なる神の観念(イデア)の関係で説明しようとしています。ものは神のイデアをもとにするイデを持ち、人間の精神は物質的次元のものではなく、ものの本質であるイデを認識しているというふうにです。スピノザも、神の無限の属性のうち人間の精神が認識できるのは思考と延長のみ、と考えている点で彼らの思考と類似します。
関連ページ:近代形而上学のイデア的認識

1.3 イギリス経験論

イデア論的理性主義への批判がイギリス経験論により展開されます。ロックは「観念」を思考対象全般を指すかなり広い言葉として使っています。ロックの主張は、胎児の時点ですでに成立する感覚をもとに、経験によっていっさいの「知性」が獲得される、とまとめられそうです。またロックは、いろいろな性質を持つあるものがまさに複合的な一つのものとして我々に現れるということに対し、経験により、単純観念を複合させて一つの複合観念として意識に現わしているだけだ、と考えています。

それに対しバークリーは経験で得られるのは物体そのものの観念ではなく、対象と性質の結びつきではないかと考えています。さらに抽象観念の成立には言葉の機能が介在していると考えています。

ヒュームもロックと同様に観念の結合を考えていて、彼は観念連合に知性を形成するはたらきをもつものとして積極的な意味を与えています。観念の結合には規則性があり、その規則を条件として満たすとともに「必然性」があると感じられる必要があって、その感覚をもたらしてくれるものが経験やこころの学習によってである、と考えられています。
関連ページ:経験論の形成イデアへの反抗イギリス経験論の展開

1.4 カント

デカルトからヒュームをまとめてひとまずの終着点を与えたのがカントです。デカルトを代表とする十七世紀ごろの理性の哲学者においては、神的理性を後ろ盾にすることで、世界に対する確実な認識を手に入れることができると考えられていました。この後神的理性の媒介なしの理性主義的な形而上学という傾向が強まり、その流れに対する反省としてイギリス経験論が展開されます。

イギリス経験論では、知性は経験的観念で蓋然的なものにとどまります。これに対して、神的理性の媒介を拒否しながらもなお、我々の理性的認識と世界の数学的合理性の調和を保証しようとして、理性の自己批判を行ったのが、カントの『純粋理性批判』です。

カントもデカルトと同じように、人間理性の限界を見て取っていて、カントによるとものそれ自体の姿である「物自体」はけっして人間が見ることはできなくて、我々に現れてくる世界は理性の形式による「現実界」です。カントの認識論では、「直観の形式」(空間と時間)で物自体を感覚として受け容れ、受け容れた材料を整理する形式である「純粋悟性概念」で論理的形式に整理することで現象として現れてきます。そのためカントの認識論では人間の論理的形式としての現れ方を説いていて、それがそれとして現れる「ゲシュタルト知覚」としての認識は思考の対象外です。
関連ページ:人間理性の限界

1.5 近代の知覚・認識論まとめ

まず西洋形而上学による知覚・認識論の根幹になるのはイデア論と理性主義です。現代まで続く心身相関の問題も、理性(知性)とものの峻別かつ結合という考え方が根源となっています。十七世紀ごろの理性の哲学者たちでは、ものをものたらしめるイデアや、神からものと理性双方に与えられた属性を媒介として、両者の結合が考えられています。

理性主義を批判したイギリス経験論においては、観念連合による複合観念の生成に知性を形成するはたらきを見ています。知性は経験による蓋然的なものとされますが、人間にしか存在しない高度な知性を対象としていた点で、これも一つの理性主義と言えます。カントは直観の形式と論理的形式である純粋悟性概念による世界認識を考えており、より精緻な議論を展開していますが、やはり知性を前提にした理論の構築の点で彼らと同様です。

理性とものの峻別かつ結合を現代の問題意識に直せば、心的事象と物理的事象の峻別とその結合、と言い換えることができるでしょう。現代を生きる我々にこの枠組みから逃れることはできず、心身相関の問題はこの枠組みに縛られる限り解くことはできないでしょう。しかし心身相関という枠組みによる束縛を自覚し、それを含む新たな枠組みを再構築することは可能でしょう。この試みは現代においては精神医学、心理学、生理学を含む広義の哲学において現在も進行中です。

2.ゲシュタルト心理学、現象学へ

二十世紀に入って、対象の認識について本格的な議論を展開した哲学者として挙げられるのはまずフッサールです。フッサールは数学者として学術活動をはじめ、心理学者および哲学者として活動内容が変遷していきます。心理学者としては記述的心理学(いっさいの精神物理的説明の捨象)から始めますが、認識体験を純粋に記述しようとする現象学的態度へと移行していきます。彼は自分の思想に修正を加え続け、後期においては、自然を客体化してみる自然主義的態度を還元し、すべての心理の前提となるような根源的臆見により現れる生活世界を記述しようと試みました。

一方20世紀前半には、知覚がまとまりとして一全体として現れることの記述を試みたゲシュタルト心理学が起こります。ケーラーは類人猿の行動を詳細に観察しており、ゲシュタルト心理学全般として自然科学的な方法論や概念が取り入れられています。ゲシュタルト心理学と直接の関係性はないのですが、類似の思考を包含する、神経生理学やそれを基盤にした精神医学なども勃興しています。

これら哲学的な思索と心理学、自然科学分野における理論を統括して大掛かりな思想を展開したのがメルロ=ポンティです。彼の思想は現象学のページ(2022/10/05時点で未作成)で紹介したいと思います。

  • 参照文献1:木田元『反哲学史』(講談社学術文庫)
  • 参照文献2:熊野純彦『西洋哲学史 近代から現代へ』(岩波書店)

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むつきさっち

物理と数学が苦手な工学博士。 機械翻訳で博士を取ったので一応人工知能研究者。研究過程で蒐集した知識をまとめていきます。紹介するのはたぶんほとんど文系分野。 でも物理と数学も入門を書く予定。いつの日か。

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