福山哲郎×斎藤環『フェイクの時代に隠されていること』書評と要約 - 趣味で学問

福山哲郎×斎藤環『フェイクの時代に隠されていること』書評と要約

評価:

2018年に出版された、立憲民主党の福山哲郎と臨床精神科医の斎藤環の対談集です。斎藤環は対談集をたくさんだしているのですが、政治家との対談集は初めてじゃないでしょうか。斎藤によると政治家何人かと話をしたことはあるけど、なかなか対話にならなくて気味の悪さを感じていたらしいです。今回の対談の前に何度か二人で会って話をしてたらしく、初めてまともに対話が成立する政治家だったとのことです。

そんな経緯もあってこの対談集が出されたわけですが、対談集なので話のまとまりはよくないです。それから重要な指針を与えてくれそうな発言はほとんど斎藤によるものです。福山も現場でしかわからない話を具体的にしてくれてはいるのですが。まとまりの悪さとか斎藤の発言の方が圧倒的に示唆に富むとかはありますが、まともな発言をできる日本の政治家がいることを知れるだけでも、読む価値があると思います。そんな理由からちょっと高めの評価3.5にしました。

全四章構成で、下に章ごとの要約を上げておきます。冒頭に記した通り2018年の本なので、現在の状況とは異なる点も多々あることを先にことわっておきます。

各章ごとのまとめ

はじめに(斎藤環)

与党、野党を問わず政治家が馬鹿に見えます。これは「どぶ板選挙」的なものが原因で、多くの政治家が当初抱いていた志は、選挙の洗礼を重ねるごとに矮小化されて、国家の利益から党の利益、そして最後は後援会の利益とかが彼らの目的となってしまいます。

フェイク現象の背後にあるのは深刻な政治不信で、例えば若い世代の自民党支持率の高さも、変化への不信がもとにあるためと考えられます。開発独裁は若い世代の承認への欲求を利用しており、社会的排除やマイノリティの問題はどうするかというと、もっとも弱い立場のマイノリティ(たとえば障害者)のみは手厚く支援し、その他の弱者には「気合いと絆で自助努力せよ」と伝えて放置することになります。

現在は「正しさ」が人を動員しなくなった時代であり、問題解決には「人々を分断する議論や説得ではなく、互いに経験を交換する対話を試みること」が必要になるはずです。

第一章 ヤンキー(=空気)が日本を支えている

安倍政権は簡単に言うと「ヤンキー政権」で、ヤンキーの精神性に支えられています。ヤンキーの精神性にはその包摂性により現場の人間の自助努力である程度なんとかなってくれるという長所はあるのですが、ヤンキー的政権にはそれに依存してしまうという問題があります。

ヤンキー政権でどうにもならないことに原発の問題があります。原発を稼働させるための国際基準があって、五層までの要件を満たさないと原発は稼働できません。かつては三層までしかなく、原発事故の後、四層目は作れたのですが、最後住民避難に関する第五層はいまだ策定されていません。

第二章 退屈なファクトより面白いフェイクが世界を覆う

現代には、社会の仕組みとしてフェイクに対する耐性をどう得るか、という難題があります。ファクトとかエビデンス重視が日本のリベラルの問題点とつながっている部分があり、少なくとも政治家は正しさを人々がどう受け止めるかということに対して配慮する必要があります。

オープンダイアローグの現実の場において、相手の話をちゃんと聞くという態度で妄想を語ってもらったら、自然と妄想が消えてしまったということがあります。幻聴とか妄想というのはある種のつらい現実に対する対処法で、安心できると要らなくなってくるみたいなところがあります。政治の場においても、相手に語ってもらうということが有効になるかもしれません。

第三章 フェイクの時代の裏で起こっていたこと

セクハラとかDVとかの問題は、広義の「暴力」の問題に含まれます。宮地尚子さんによる暴力の定義は「親密的領域において相手の個的領域を奪うこと」です。

依存症においてはハーム・リダクション(より毒性の弱いもので代わりにし、悪影響を減少させること)じゃないと立ち行かないことが明らかになってきています。欧米圏では「暴力」はゼロ・トレランス(非寛容)でドラッグに関してはハーム・リダクションが受け入れられつつあって、日本はその真逆です。また入院が必要な精神病患者は減ってきているのですが、構造的な問題で入院数が減りません。「相模原障害者施設殺傷事件」は「排除された弱者が、排除の思想を持って」犯した犯罪であり、被告が普通は措置入院にならない状況で入院させられたことが引き金になった可能性があります。弱者が弱者を排除するような構造ができあがってしまっているので、この構造そのものを変える必要があります。

ひきこもり問題では、これからの年金支給の財源等の問題から、ケアの視点を含んだ就労支援が必要と考えられます。引きこもりは「本人の頭のなかに病気があるんじゃなくて、「家族関係のなかの病」」です。病気としては軽いのだけど、関係のなかの病なので、関係が変わらない限り、普通の病気と違って治ることは期待できません。また引きこもりにかぎらず、就労支援においては「ワン・ストップ」で相談できる場所が必要です。

第四章 なぜ貧困と差別が固定化してしまうのか

日本は三割が非常に苦しい思いをすることで残りの人びとにとっての利益や幸福度を最大化する仕組みになっていると考えられます。排除された三割の不幸をどうするかということが政治家の仕事です。現在の日本は中間層がやせ細り続けている状態で、再分配政策を実施するには、中間層にも恩恵があるようなやり方でないと支持が得られません。福山は、「弱者救済」とか「格差社会」という言葉では理解されないので、「みんなで負担して、みんなで幸せになろう」という言葉を出しています。

もともと日本社会は、親密圏における暴力に対しては異様に寛容な社会です。このなかに体罰とか、しごきとか、夫婦間のDVとか虐待とか、すべて含まれます。男尊女卑とかニンビズムとか呼ばれる「大事なものだけど家の近所には造ってくれるな」という発想とかが、日本では今も根強く残っています。このような問題に対して、エビデンスに基づいた正しさを追求すればよいというわけではありません。相容れないと思っている相手ほど、その相手の世界を理解する必要があって、「どういう気持ちでその価値観を支持しているのかということ」を理解するための態度が必要になります。

追記

章ごとに要約するとそんなに情報量は多くなくみえますが、かなり省略して要約しているので実際には情報量は多いです。日本を取り巻く問題はすべて出そろっているだろうし、それらの問題すべてに共通する性質が垣間見える本にはなっていると思います。本当は最後に立憲民主党の結成の顛末が書かれているのですが、あまり興味がなかったので省略してます。

この本に書かれているおおむねの内容に私は同意してます。立憲民主党には不満もあるので、福山さんには政治の場でこの本に書かれていたことを実践してほしいところです。現在、要職からは退いてますが、福山さんには今でも期待しています。

下は楽天アフィリエイト広告です。

フェイクの時代に隠されていること [ 福山 哲朗、斎藤 環 ]

価格:2420円
(2025/4/2 18:44時点)
感想(0件)

<< メルロ=ポンティ「幼児の対人関係」(『眼と精神』所収)書評と要約 國分功一郎/山崎亮『僕らの社会主義』書評と要約 >>

<< 書評トップページ

ホーム » 書評 » 福山哲郎×斎藤環『フェイクの時代に隠されていること』書評と要約

むつきさっち

物理と数学が苦手な工学博士。 機械翻訳で博士を取ったので一応人工知能研究者。研究過程で蒐集した知識をまとめていきます。紹介するのはたぶんほとんど文系分野。 でも物理と数学も入門を書く予定。いつの日か。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA