近代の哲学まとめ2(西洋近代形而上学) - 趣味で学問

近代の哲学まとめ2(西洋近代形而上学)

近代の哲学まとめ二回目は西洋近代形而上学についてです。「西洋近代」の形而上学の特徴として、イデア主義、理性(知性)主義、物質的自然観の三つを挙げることができるでしょう。この三つの特徴は深く結びつきますが、お互いに関係し合うことが必須というものでもありません。デカルトの時代から、近代形而上学の完成者と呼ばれるヘーゲルの時代まで、上記三つの特徴との関わり合いの視点でまとめてみることにします。

1.デカルトの時代

デカルトの「コギト」をざっくりまとめてみると「疑い得ないと思っていた世界の実在とかも本当は怪しいけども、それを怪しんでいる限り、怪しむという働きである私の精神は実在しているでしょう」ということです。デカルトは人間理性は確実に実在すると確信しており、彼にとって人間理性は「神の理性のミニチュア」です。そして彼の考えでは、人間理性の最たるものである数学的諸観念は神の与えた世界の性質と関係しているので、数学的諸観念は生得的でありかつ自然的対象にも適用しうることになります。神の理性を後ろ盾にしてはいますが、人間理性は余すことなく世界を認識できる、超越論的知性です。デカルトはイデア的に存在する理性によって、精神とは明確に区分される物質として自然の研究を行っています。

関連ページ:デカルトのコギト基体としての人間理性

デカルトと同時代のスアレスや、デカルトの影響を受けたマールブランシュは、イデア論的に認識の成立を考えています。スアレスでは個体化の原理にかかわる議論において、個体が個体であるために「ない」という実体が必要と考えられています。またマールブランシュは対象の認識に対して、ものの本質たる観念(イデ)とその代理である完全なる神の観念(イデア)の関係で説明しようとしています。彼はデカルト以上にイデア主義的であったと言えるでしょう。

関連ページ:近代形而上学のイデア的認識

2.カント

デカルトの頃では神的理性の後ろ盾があったので、人間の認識の確実性が保証されていました。カントは神的理性の媒介を拒否しながら、その認識の確実性を保証するために、『純粋理性批判』で理性の自己批判を行います。

カントもデカルトと同じように人間理性の限界を見て取っています。カントによると、物それ自体である「物自体」は人間には認識できず、人間が認識しているのは理性の形式によって現れる世界、「現象界」です。理性の形式である純粋悟性概念は人間が先天的に持つもの(とカントは考えています)なので、人間の認識に現れる現象界の方なら確実に認識しうることになります。こうして現象界限定で、神的理性の後見なしに確実な認識が保証されます。

関連ページ:人間理性の限界

3.ヘーゲル

悟性の12のカテゴリーを固定されたものではなく、人間の精神の成長とともにそのカテゴリーも拡張されていくと考えれば、物自体のような根源的に接触不能な領域は減少していくと考えることもできます。個々の認識主観と自然界との関係においてはこの事態は考えづらいことですが、世界の方を自然的世界ではなく歴史的世界とみなすと、この解釈も可能になってきます。

それに関するヘーゲルの有名な議論が「弁証法」です。弁証法によって、対立関係にある二つの対象は、その対立そのものを包括して統一され、その繰り返しによってより一全体的統一へと生成していきます。ヘーゲルは精神をより成長していく生成運動とみなしており、労働を通しての自然と精神との弁証法により、自然も精神も成長していくはずです。そしてこの働きかけの最後には、精神は絶対の自由を獲得して絶対精神となり、世界の方もその歴史が完成することになります。こうして人間理性において歴史的世界の合理的形成能力が約束され、歴史的世界に対する超越論的主観としての位置を保証されたことになります。

関連ページ:近代形而上学の完成

4.形而上学的思考

イデア主義、理性主義、物質的自然観の三つの特徴を最も強く帯びているのはデカルトの思想です。彼に続く形而上学的思考は単線的にこれらの特徴を引き継いでいるわけではないでしょう。カントは確実な認識ができる世界を現象界に限定しましたし、ヘーゲルはある種生命論的な生成運動としての世界を見いだしていました。しかし超越論的な思索という点においては、あくまで神の理性を後ろ盾にした超越論的知性から、現象界に限定されながらもそれ自体で確実な認識を与える人間理性、そして労働により完全となった自然を余すことなく認識できるやはり完全な人間理性という形で、デカルトからヘーゲルまでに一つの思索の流れを見ることができます。

5.形而上学と神学

形而上学は感覚や経験を超える原理を措定する超越論と考えることができます。プラトンのイデア論を批判的に摂取したアリストテレスにも、純粋形相というイデア的超越論的概念が存在しました。プラトンとアリストテレスの思想を受け継ぐ近代哲学が形而上学的な思索であることは当然のようにも思えますが、ライプニッツ、後期シェリングのようにそこに包含できそうもない哲学者たちもいます。

また近代形而上学の完成者たるヘーゲルにも生成運動する自然を思わせる思考があります。世界の成り立ちを説明しようとする彼らのある種神学的思考が、形而上学とどのような関係にあるのか、残念ながら私に説明することはできそうもありません。

  • 参照文献1:木田元『反哲学史』(講談社学術文庫)
  • 参照文献2:熊野純彦『西洋哲学史 近代から現代へ』(岩波書店)

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むつきさっち

物理と数学が苦手な工学博士。 機械翻訳で博士を取ったので一応人工知能研究者。研究過程で蒐集した知識をまとめていきます。紹介するのはたぶんほとんど文系分野。 でも物理と数学も入門を書く予定。いつの日か。

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