オートポイエーシス論によるゲシュタルト知覚 - 趣味で学問

オートポイエーシス論によるゲシュタルト知覚

動物行動が神経系により引き起こされていることに疑いはありません。反射や単一の本能行動なら神経系と身体の協働で説明可能ですが、本能行動の連接においては表象や認識(ゲシュタルト知覚)の行動への介入を前提にしないと、説明が著しく困難となります。しかしながら成立した表象・意識や認識が動物行動を変化させる、つまり心的事象が神経系という物理的基体に作用し得ることの説明は、いまだに誰一人として成功していません。心的事象による動物行動の成立の説明のためにまず、ゲシュタルト知覚(知覚されている表象がその対象として現れること)の成立を、オートポイエーシス論における身体や表象・意識システムとの関係を用いて図式してみようと思います。

1.表象・意識と動物行動の簡略図

まずここでは表象と意識を明確には区別しないこととします。オートポイエーシス論における意識システムは「身体による脳・神経系への攪乱をコードとして作動する、生命システムの一階言及システム」でした。意識システムの模式図のページにおける図を簡略化して図1に示します。ただし「構成素が表象で構造が意識」という山下和也による考え方は保留にして、構成素は不明にしておき、構造が表象・意識であるとします。

2.ゲシュタルト知覚のオートポイエーシス論的説明

「認識」という言葉を正確に定義するのは容易ではないのですが、知覚されている表象がその対象として主体に受け取られることを意味する、「ゲシュタルト知覚」を初次的な認識とみなして議論を進めることにします。

生命システムの一階言及システムである表象・意識は、生命システムとの間で相互に環境として浸透します。表象・意識が身体(生命システムの構造)に浸透し得るのであれば、身体特に神経系の状態を多数の可能性から限定(縮減)することもあり得るはずです。身体の状態が限定されれば、そこからの言及システムである表象・意識も限定され、身体と表象・意識の間で限定の連鎖が起こるでしょう。

また身体の外部には行動を可能とする環境があり、やはり身体と相互浸透します。その個体において可能な行動は環境により限定されているので、そのとき成立している表象が行動の対象として限定されて現れることも考えられます。こちらもやはり限定された表象・意識により身体の状態が限定され再帰的に連なることでしょう。この再帰的に身体と表象・意識が限定しあう状態を、主体の側から受け取られたものが、ゲシュタルト知覚であると考えられないでしょうか。

以上の事態を図2のように図式化します。なお、「その他の環境」はオートポイエーシス・システムとして記述していますが、身体外部の物理的環境などのシステムではないものも含みます。

さらに(より高階の)認識、動物行動を図3のような、表象・意識システムと生命システムの構造的カップリングによる高階層のシステムとして記述できるかもしれません。

関連ページ:意識システム意識システムの模式図環境との相互作用構造的カップリング

<< 動物行動(オートポイエーシス論) ルーマンの縮減概念 >>

ホーム » オートポイエーシス » オートポイエーシス論の展開 » オートポイエーシス論によるゲシュタルト知覚

むつきさっち

物理と数学が苦手な工学博士。 機械翻訳で博士を取ったので一応人工知能研究者。研究過程で蒐集した知識をまとめていきます。紹介するのはたぶんほとんど文系分野。 でも物理と数学も入門を書く予定。いつの日か。

One thought on “オートポイエーシス論によるゲシュタルト知覚

  1.  ≪…表象・意識システムと生命システムの構造的カップリングによる高階層のシステム…≫として自然数(数の言葉ヒフミヨ(1234))を、≪…オートポイエーシス論…≫として捉えタイ。
     「秩序と無秩序 新しいパラダイムの探求」ジャン=ピエール・デュピュイ著 古田幸男訳に 【 学際性transdisciplinaritёは、本来、暴力である。それは、おのおのの学がそれぞれの内部にかかえている競合関係を調整する基準を定めるために外部を遮断している障壁を、はげしく打ちこわすのである。 ・・・ 普遍化するがゆえに暴力的であるそれは、自らの上に,知のさまざまな自主独立主義の、多様な、暴力を局在させる。 】を乗り越えている自然数を、大和言葉の【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】の平面(2次元)からの送りモノとして眺めタイ。
     『離散的有理数の組み合わせによる多変数関数』の『存在量化確度方程式』と『存在量化創発摂動方程式』との分岐の帰着への教えは、絵本「すうがくでせかいをみるの」的に数学からの送りモノとして『自然比矩形』が、自然数製造機に観える。これが、[直交座標]の実平面化である。
     
    [極座標]は、昭和歌謡の本歌取りで・・・
       「愛のさざなみ」の本歌取り

      [ i のさざなみ ]

    この世にヒフミヨが本当にいるなら
    〇に抱かれて△は点になる
    ああ〇に△がただ一つ
    ひとしくひとしくくちずけしてね
    くり返すくり返すさざ波のように

    〇が△をきらいになったら
    静かに静かに点になってほしい
    ああ〇に△がただ一つ
    別れを思うと曲線ができる
    くり返すくり返すさざ波のように

    どのように点が離れていても
    点のふるさとは〇 一つなの
    ああ〇に△がただ一つ
    いつでもいつでもヒフミヨしてね 
    くり返すくり返すさざ波のように
    さざ波のように

    [ヒフミヨ体上の離散関数の束は、[1](連接)である。]
                (複素多様体上の正則函数の層は、連接である。)

    数学の基となる自然数(数の言葉ヒフミヨ(1234))を大和言葉の【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】の平面・2次元からの送りモノとして眺めると、[岡潔の連接定理]の風景が、多くの歌手がカバーしている「愛のさざなみ」に隠されていてそっと岡潔数学体験館で、謳いタイ・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA