木村敏によるヴァイツゼッカー解釈の概略 - 趣味で学問

木村敏によるヴァイツゼッカー解釈の概略

ヴァイツゼッカーによるゲシュタルト・クライスの概念を説明するために、臨床精神科医の木村敏によるヴァイツゼッカー解釈を先に紹介したいと思います。木村敏はヴァイツゼッカーの日本への紹介者であり、『ゲシュタルト・クライス』の訳者の一人でもあります。晩年に出版された講義録『こころ・からだ・生命』において、身体という境界を生きることそのものとしての「主体」という概念を、ヴァイツゼッカーの思想から読み取っています。ヴァイツゼッカーの著書から思想を汲み取る前に、木村敏の解釈を何回かに分けて紹介したいと思います。まずこのページでは『こころ・からだ・生命』の概要をまとめてみます。

1.現象学における主体概念

主体は哲学においても重要な概念ですが、近代の哲学においては「理性」偏重の特徴から、異なる主体の間で意思疎通が可能な程度に主観が共有されることが、難問として現れてきてしまいます。哲学分野でいわゆる「独我論」に陥らないようにこの問題の解決を図ったのが、フッサールやメルロ=ポンティに代表される現象学です。

現象学では、主観の語を拡張して、志向対象を共有する「間主観性」の概念を生み出します。さらにメルロ=ポンティは、当人だけにしか感じられないはずの私的な主観的関係が当人を超えて共有される、私的間主観性を問題にしました。これは「間身体性」とも呼ばれ、一見個別的な主観的経験や主体的行動の背後にも、この私的間主観性がつねに働いていてるのではないかと考えられます。

この間身体性をもとにすれば、認識論的な他者認知の仕方を考えることもなく、身体のある種の同調可能性によって他者として感じ取られている、と簡単に記述することができます。直接的、そう呼んでよいのなら本能的に、感性体験として他者を認識していると考えられます。

2.ヴァイツゼッカーの主体概念

一般に考えられるような主観性とまったく異なる「主観/主体」概念を考えたのが、二十世紀前半にドイツで活躍した神経科医・哲学者のヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼッカーです。ヴァイツゼッカーの主体概念は、生命と環境の境界そのもの、もしくはその境界を保ち続けること自体とみなすことができます。そのためヴァイツゼッカーのいう主体は働きとしての生命そのものであり、この考え方は、主体を植物とか単細胞生物とかまで拡張して考えることを可能にします。

ヴァイツゼッカーは、「生きものがその生存を保持するために、知覚と運動の両面を動員して環境世界とのあいだで保っている接触」を「相即(コヘレンツ)」の言葉で表現しました。環境と生きものの双方ともに変化し続ける中で、相即の維持は、接触の切断と再接続によって維持されます。さらにヴァイツゼッカーはこの事態を「転機/危機」(クリーゼ)と呼んでいます。このような生命と環境との相即の維持を、当事者である有機体の内側からとらえた事態が、「主体」と呼ばれていると考えることができます。結局のところ、「主体」とは、生命と環境の境界を自ら区切り、境界での接触を維持しようとするその働きそのものとしてある、とみなすことができます。

3.集団と個体の二重の志向性

個体は境界そのものを自身のはたらきにより生み出し続けます。一方、個体の集まりである集団も一つの個として境界を生み出すのですが、その境界は個体を媒介にして、気象的・地理的な外部環境と個体という内部環境、双方との相即により成り立っています。集団と個体はお互いに環境となっているのであり、個体は個体自身の志向性と集団全体の志向性の、双方の志向性の担い手でもあります。この二重性をもとに、幾重もの相即による人間の意識するはたらきに、光をあてることができるでしょう。

参照文献:木村敏『からだ・こころ・生命』(講談社学術文庫) blog書評ページ

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むつきさっち

物理と数学が苦手な工学博士。 機械翻訳で博士を取ったので一応人工知能研究者。研究過程で蒐集した知識をまとめていきます。紹介するのはたぶんほとんど文系分野。 でも物理と数学も入門を書く予定。いつの日か。

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