1.文法を獲得するとは
1.1 文法の獲得を調査するために
我々大人が使う言語には決められた規則があって、その規則に則りながら日々の生活に言語が使われています。言語使用の規則一般が文法と呼ばれていて、文法がどういったものか感覚的に納得しているので、普段その存在を疑ったりしません。しかし子どもが言語を使用できるようになる過程を調べようとすると、子どもの得た言葉にまつわる規則が、我々が文法と呼んでいるものと本当に同じものであるのか、という問題が生じます。
このページは『新・子どもたちの言語獲得』(参照文献1)を参照に作成しているのですが、残念ながらこの著書の中に、子どもが初めて文の規則を習得するという視点から文法を定義した部分は見つかりません。それでも文法を成す基盤と考えられている要素、文法を獲得したと考えることのできる特性などが記述されているので、まずはそれら文法獲得を調べるための基礎設定を見てみることにします。
1.2 「シンタグマティックな範疇」と「パラディグマティックな範疇」
参照文献1の第5章、この分野において有名なトマセロの言葉としてこの二つの概念が紹介されています。ソシュールの用いたサンタグム(連辞の軸)とパラディグム(連合の軸)を連想させる言葉です。参照文献1での定義は下のような感じです。
- シンタグマティックな範疇:「動作主」(agent)、「非動作主」(patient)、「道具」(instrument)などの分類であり、被動作主は、行為を表現する動詞においてその動作で影響を受ける対象を意味する。
- パラディグマティックな範疇:「動詞」(verb)、「名詞句」(noun phrase)、「形容詞」(adjective)などの分類。
パラディグマティックな範疇は品詞のことだと理解すればよいでしょう。シンタグマティックな範疇の方は少しわかりづらいですが、被動作主は動詞の目的語のようなものでしょうから、主語や目的語や前置詞による修飾語句と、動詞との関係性を指す言葉でしょう。言葉を連接して文を作るときの規則に関連すると考えられます。そうするとシンタグマティックな範疇と連辞の軸、パラディグマティックな範疇と連合の軸はほぼ同じことだと言えそうです。
関連ページ:ソシュール言語学
1.3 語幹と語尾
幼児が言葉を使い始めたとき、一語文(「あっぷーん」など)から複数語の文へと分節されていくのですが、発達途中だと語と語の区切りが本当にあるのかはっきりとはわかりません。日本語にも英語にも語形の変化と言えるものがあるので、それらをもとに文法の獲得が考察されています。日本語では例えば「たべた」と「たべる」で「たべ」が語幹で「た」と「る」が語尾です。2歳くらいから「タベル」、「タベナイ」、「タベチャッタ」など、「たべる」という言葉の活用形を使い分けていると考えられる使用が現れるようです。発達心理学では、これら活用形の現われを観察することで、語形変化の規則性をどのように得ているか、考察のための資源としているようです。
1.4 語順や主語・目的語
年齢が上がるにつれ一つの文が分節された状態で発現されるようになります。分節のされ方は一つの言葉で一つの事態が表現されていたのに対し(例えば「あっぷーん」で「アレを使ってこないだのアレを食べさせろ」に対応)、主語や目的語を伴って動詞が使われるようになります(「あきちゃん これ たべないってよ」:参照文献1、p.126の例)。助詞の使用が現れるのはこれよりも後らしく、どれが主語や目的語にあたるか、語順や動詞の活用を体系的に見につけているかなどを、総合的に判断しないといけません。参照文献1を読む限り、規則を身につけたかどうかを判断するための基準は確定されていないようです。現時点では、文法要素のごく一部に着目して、文法要素の追加・増加や変遷・固定について観察し頻度を調査するといった個別研究が重ねられています。
2.動詞獲得の理論
心理学でも理論構築に実験・調査が利用されています。参照文献1の第5章では7つの実験・調査が紹介されており、それをもとに動詞獲得の理論が考案されています。実験・調査の簡単なまとめとそこから提案された理論を紹介することにします。
2.1 参照文献1の動詞の研究
参照文献1の第5章に挙げられている動詞に関する研究を、簡単に表1にまとめておきます。
| 研究 | 研究内容 |
|---|---|
| 初出動詞形に関する研究 | 初出動詞の語形がどのように変化するか(例、「タベル」→「タベルノ」→「タベルノヨ」)の観察調査 |
| 否定語の研究 | 否定表現における語尾の変化(例、正しい「ヨマナイ」と誤った「ヨムナイ」)の観察調査 |
| 他動詞の修飾語枠に関する研究1 | 「~が」(主語)と「~を」(目的語)にあたる言葉の出現順、語順などの観察調査 |
| 他動詞の修飾語枠に関する研究2 | ガ格・ヲ格・動詞の順序がどのようになってあらわれるかの観察調査 |
| トマセロによるTravisの研究 | 英語の動作動詞において動詞と目的語の語順を調査し、語順獲得の一般性があるか各動詞ごとの個別規則としてかの考察 |
| 新規動詞を教える実験 | 人工的な動詞を作成し、各動詞ごとに名詞と動詞の語順の構造を与えて提示し、動詞の獲得の仕方を観察調査 |
| 自閉症児の言語 | 自閉症児において、人称の変化や「名詞+だ」の出現頻度を調べ、健常者の場合と比較する |
2.2 提案された理論
上記7つの実験・調査をもとに考案された動詞獲得の理論は次のものです。
- 仮定1 (強いローカル・ルール):動詞の獲得は各動詞が独立した形で始まる。
- 仮定2 (弱いローカル・ルール):次の段階になると複数の動詞がまとまって部分的な共通性を持ちはじめる。
- 仮定3 (グローバル・ルール):部分的な共通性が、ある時点で統合されて、最終的に一般的なルールが獲得される。
- 仮定4 (制約):初期の段階からグローバル・ルールが例外的に存在する。これは制約であり、人間が持つ生得的な行動傾向である。
おおまかな動詞獲得の規則性については自分も異論はありません。しかし文法獲得に方向性を与える生得的行動傾向があるというだけでは、何も明らかになっていないも同然ではないかと思ってしまいます。この生得的傾向は生理学的機構によるのか、人間の身体機構と環境との関係で自然とそこに落ち着くということなのか、そういったことは何も明らかになっていません。心理学で、障がい児や教育放棄児の研究が行われる理由も、環境からの影響がどれくらいか、それを踏まえて言語獲得機構をどのように考えればよいかを考察するためでしょう。教育放棄された児童の研究は次ページで紹介する予定です。
一方、参照文献1の第10章において、佐々木正人により「アフォーダンス」をもとに言葉の獲得と環境との関わり合いが考察されています。養育者が行うのは、意味の配置された環境へ子どもの注意が向くように働きかけることであり、「文法」は特定の場面と緊密に結び付いて、個性的に誕生するとされています。仮定4の制約は、この個別的な「文法」が一般的な文法へ統合されることを促す傾向のことです。この制約というのは、物事の奥底に、その事態を生じさせる根源を見い出し、より包括された視座へと移行しようとする欲求のことでしょう。それをわざわざ「グローバル・ルール」のような言葉をあてがう必要はないと、個人的には感じています。
関連ページ:子供の言葉と周りにある「意味」
3.動詞獲得の研究の紹介
上記7つの実験・調査から、重要そうなものを2つ紹介しておきます。
3.1 他動詞の修飾語枠に関する研究2 <5人の子どもの場合>
ガ格・ヲ格・動詞の語順ごとの使用頻度をまとめて表2に示します。

ガ格やヲ格とありますが、この時点ではまだ助詞の使用がわずかしかないため、単語の意味を考えながらガ格やヲ格を決定しています。例えば「あきちゃん これ たべないってよ」なら、ガ格:「あきちゃん」、ヲ格:「これ」、動詞:「たべないってよ」です(参照文献1、p.126の例)。
表2を見る限り、全体としてはガ格+ヲ格+動詞の割合が高いです。しかしJ児2歳5カ月ではガ格とヲ格の語順が定まってないが、3歳6カ月ではガ格+ヲ格+動詞に固定されるといった個別性と一般性の獲得の両方が見られます。著者は「ガ格とヲ格の位置」を決める文法範疇と「動詞の位置」を決める文法範疇の存在を仮定していますが、大人の使用における頻度の多さから来る学習効果とかで説明可能にも思えます。
3.2 トマセロによるTravisの研究
動詞-島仮説のもとになった研究です。Travisの1歳4カ月から2歳0カ月の間で使用が確認された動作動詞についてです。表3に分類、動詞、使用例(月齢)を示します。
| 分類 | 動詞 | 使用例(月齢) |
|---|---|---|
| ①対象となる修飾語を動詞のあとに置いて表現 | 13の動詞(sweep, brush, paintなど) | 「Brush my teeth.」(1歳8カ月~1歳10カ月) |
| ②対象となる修飾語の位置が一定しない | 3つの動詞(bite, cook,pick) | 「Cookie bite.」(1歳4カ月~1歳6カ月) 「Bite apple.」(1歳6カ月~1歳8カ月) |
| ③場所の修飾語だけが表現され、他の修飾語は表現されない | 2つの動詞(write, roll-it) | 「Write on D’s chair.」(1歳8カ月~1歳10カ月) |
| ④動作者と対象の両方が表現 | 2つの動詞(kill, pour) | 「A man kill a roaches.」(1歳8カ月~1歳10カ月) |
若干①の例が多いのと動詞数そのものが少ない点はありますが、確かに個々の動詞ごとに語順や修飾語(主語、目的語)との関係が獲得されることを示唆しています。
4.参照文献
- 参照文献1:小林晴美、佐々木正人編『新・子どもたちの言語獲得』第5章(大修館書店) 書評と要約

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