木田元『メルロ=ポンティの思想』書評と要約

1.評価

評価:4.0

長らく絶版になっていた『メルロ=ポンティの思想』が文庫本として復刻です。ずっと読みたかったんですが、中古で15,000円とかの値段がついてて手が出ませんでした。それが2300円(税別)で読めるんですから買わない手はないでしょう。ちなみにこの本、約600ページの大ボリュームです。

木田元の著作なので文章の密度は濃いです。メルロ=ポンティの幼少期からの思想の形成を辿ったり、遺稿となった『見えるものと見えないもの』の詳細な検討が含まれていたり、この本でしか知ることのできないであろう内容が盛りだくさんです。木田元は多数の著作を出していて、各著書の間で内容が被ることも多いのですが、この本に関しては独自の内容がほとんどに思われます。

自分はメルロ=ポンティの著作はある程度は読んでいて、後期の『眼と精神』や『見えるものと見えないもの』も読んでいます(さっぱりわかりませんでした)。一通りこの本を読んでみて、いくらかはわかった気がしてましたが、章ごとのまとめをしようとして、たいしてわかってないことに気付く羽目に。

現時点でわからないところだらけなので評価は4.0にしました。もっと読み込んで「現象学」ページにまとめていくつもりなので、そこまでやってまた評価を変えるかもしれません。変わるとしたら4.5に上げるのみで下がることはないと思います。メルロ=ポンティの解説書として、この本を超えるものは現れないでしょう。

2.章ごとのまとめ

章ごとに、だいたいこんな内容のことが書いてある、という感じでまとめていくことにします。

Ⅰ 思想の形成

メルロ=ポンティの幼少期から、彼の思想を形成する基付けとなったと思われる事象が紹介されています。

メルロは1930年からボーヴェで教職についていて、「ゲシュタルト心理学」、「行動主義」、「精神分析」の系統的研究に着手したと述べられています。この時点では現象学にそれほど関心を示していなくて、1934年の研究助成金の申請において、フッサールの現象学が重要な研究対象の一つとして挙げられるようになったそうです。現象学は心理学の地盤を提供しようとする立場とみなされていたようです。

1935年から1936年までの、「キリスト教とルサンチマン」、「『存在と所有』」、「サルトル『想像力』」の三つの書評に対する考察があります。マルクス主義、ベルクソンに対する両義的な態度が読み取れるようです。

Ⅱ 『行動の構造』をめぐって

『行動の構造』と『知覚の現象学』の関係は、人によって連続性を見い出したり断絶を見い出したり、評価が定まっていないようです。メルロ=ポンティ自身による言及がほんの少しだけ残っていて、『行動の構造』では「外的観察者」の立場からこのような記述が成されていたのですが、「意味」を支配的特性とする人間的秩序では、これに代わって知覚意識の「現象学的記述」が必要になる、という理由で二つの著作が分かれて出版されたようです。

『行動の構造』ではゲルプやゴールトシュタインらの神経生理学的知見が詳細に検討されていて、この章でもかなりの記述量でメルロ=ポンティによる解釈が検証されています。行動の構造化は「癒合的形態」、「可換的形態」、「シンボル的形態」の三つのレベルに大別できるとメルロ=ポンティは考えていたそうです。癒合的形態はいわゆる「本能的」な行動で、可換的形態で「信号(シグナル)」が出現し、真の学習が可能になります。信号となりうる構造の複雑さには諸段階があって、類人猿においても<物>という高次の構造は構成されていません。人間によってはじめて可能になる諸関係を関係づけての構造化が、シンボル行動とかシンボル的形態とよばれているとのことです。人間にとっての<物>は諸構造がさらに構造化されたものであり、特定のパースペクティブに閉じ込められない<世界>が開かれています。

人間意識の構造を読み解くには、意識にある自然な自己欺瞞にだまされない必要があり、「「現実の世界がその特殊性のままに構成されるあるタイプの根源的経験」としての知覚にたちかえるためには、「意識の自然な運動を逆転させ」[SC 327]、その自然な自己隠蔽をあらわにする必要がある。」(p.127)これは後期フッサールの現象学的還元にほかならず、こうして「構造の哲学」が「知覚の現象学」に接続されることになるようです。

Ⅲ 『知覚の現象学』をめぐって

『知覚の現象学』から本格的にフッサールの現象学が参照されるようになったとのことです。メルロ=ポンティの言う「現象野」とは、後期フッサールが「生活世界」と呼んだ生きられる世界のことで、『知覚の現象学』においても「ひたすら<物>の構成に向かう知覚の自然な運動や、その増幅である科学的認識の運動に逆らって、物の発祥地である現象を顕在化すること、「科学の諸作業にその十全な意味を与え、科学の諸作業がいつもたちかえってゆく意識の前科学的生活を公開すること」[pp Ⅰ 113](p.159)である現象への帰還が目指されたようです。

『知覚の現象学』でもっとも充実しているのは第一部の「身体」論のところで、幻影肢の現象をもとに、シンボル的形態に位置する人間的身体の運動を記述しようとしたそうです。代償行為、フロイトの「抑圧」概念なども参照にされていたことが記述されています。人間の場合は与えられた環境をもとに、その根拠ともいうべき「世界」を構成しています。それが可能となっているのは、個々の反応の形成が、実存の中心部ではなく末梢部でおこなわれているからです。求心性伝導路の切断が幻影肢を抑止するのも、それによる習慣的身体の変容によって、そこから獲得される心的かつ実践的空間が再編されたためと考えられています。

『知覚の現象学』ではシュナイダー症例についても検証されているようです。ゲルプ、ゴールトシュタインらにより、シュナイダーの症状は言語の機能の障害というよりも、言語を含むもっと広範の知的障害であることが示されています。メルロ=ポンティはゲルプ、ゴールトシュタイン、カッシーラーらの考えにも批判を加えていて、「彼に見られる知的障害は、けっして既定の意味を操作する概念的思考作用の障害ではなく、むしろ、感性と意味とが接合する両者の実存的基盤、「知性の実存的土台」[pp Ⅰ 227]にかかわる障害だと考えねばならないことになる。」(p.197)

その他『知覚の現象学』だけでなく、その前後の著作も参照してメルロ=ポンティのフロイトに対する考え方が、木田により検証されています。

Ⅳ 戦後のメルロ=ポンティ

1940年代後半から1950年代後半までのメルロ=ポンティの思想の変遷が、講義資料などをもとに詳細に検討されています。まずは共産主義に対するメルロ=ポンティの態度の変遷と、サルトルなどとの関係など、具体的な政治的態度についてまとめてあります。実質52年には、『現代』掲載論文をめぐる対立から、サルトルとの交友関係は終了していたようです。比較的早い時期に形而上学、文学論について取り掛かられていたようですが、文学論は中断され、予定されていた『真理の起源』は最終的に遺稿の『見えるものと見えないもの』という表題に落ち着いたそうです。講義要録の目次が載せてあり、52-53年あたりに言語に関連する講義が見えます。53-54年あたりからはマルクス、ウェーバー、ルカーチなどに関心が移ってきている旨が記述されています。また59年にはレヴィ=ストロースの紹介論文も書かれているようです。

Ⅴ メルロ=ポンティの言語論

初期、中期、後期にわけてメルロ=ポンティの言語論が検討されています。初期においてもソシュール言語論は参照されているのですが、ゴールトシュタインらの生理学的知見を中心に考察されているようです。中期においてソシュール言語学が中心的役割を果たします。後期では言語と沈黙の関係が考察されていたようで、ハイデガーやフッサールも敷衍しながら言語の基盤について考えられていたみたいです。

Ⅴ章で議論の中心になっているのはソシュール言語学を元に思想が展開された中期です。ラングとパロール、思惟とパロールとの関係等について、区別されながらも分かちがたく結びついたものとして考えられていたようです。「意味」に「サンス」や「シニフィカシオン」が当てられていたり、「意義」や「価値」も使用されていたりして、かなり複雑な議論が展開されていて、自分は流れを追えませんでした。「意味」はシーニュの中にあるようなものではなく、パロールにおいて志向しているものが意識化される働きとして、メルロ=ポンティは考えていたみたいです。

Ⅵ メルロ=ポンティの社会理論

社会理論となってますが、他我論の発達心理学を敷衍しての考察から始まって、レヴィ=ストロースの構造主義、マルクス主義ときて最後はルカーチやウェーバーを元にした歴史理論についてです。発達心理学によるとそもそも人間の主観は間主観的なものであり、人間身体の行う構造化作用から社会や歴史へと向かうものです。こういった間主観性からメルロ=ポンティは社会理論や歴史理論を展開しているようです。

制度化された社会事象は物でも観念でもなく、構造としてとらえられているそうです。メルロ=ポンティはレヴィ=ストロースの構造人類学に強い共感を寄せていて、「それがわれわれ自身とその社会的歴史的世界との関係を新たな視覚から見ることを可能にしてくれる」(p.360)と考えられていたようです。

Ⅶ 後期思想の検討

59年以降が後期思想と呼ばれ、メルロ=ポンティの考えでは前期中期の区別は特にないが、後期には大きな隔たりがあるとのことです。まず『見えるものと見えないもの』の目次が示されていて、一言でいうと存在論についての内容のようです。後期フッサールとハイデガーの双方が参照されているそうです。

後期メルロ=ポンティの思想では「肉」の概念が重要で、彼の後期思想は肉の存在論だとのことです。「メルロ=ポンティが言わんとしているのは、見えるものが、私の見る働きの反映であるとともに、その見る働きが見えるもののうちに取りこまれているということ、見る身体と見える世界とが、先ほど挙げたようなさまざまな逆説的表現によって言い表わすしかないような関係で同質的なものだということであり、その両者を共に仕立て上げているその同じ<質>が肉とよばれているのである。」(p.436)

また「ゲシュタルト」の概念も「野生の存在」の手がかりとして利用されているそうです。ゲシュタルトは事実存在としての現われですが、同時に次元、水準、地平や構造でもあります。そこから意味や本質という現れが出てくるのであり、それらは「地の上の図」としては見えないものですが、「地」としては見られています。

後期メルロ=ポンティ思想では、知覚と言語、自然と文化といった項の連続性を見つけ、前者を基付けとする関係を見出そうとしていたようですが、結論にあたるようなものを見出す前に不慮の病に倒れてしまったみたいです。「研究ノート」は断片的で、木田にとってもそこから思想を取り出すことは相当に難しい旨が記述されていました。

存在論においては、デカルト、ライプニッツなどの形而上学のみならず、マルクスやフロイト、さらにハイデガーや後期フッサールが参照され、シェリングへの強い共感とベルクソンに対する両義的な関係が見られるそうです。

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物理と数学が苦手な工学博士。
機械翻訳で博士号を取ったので一応人工知能研究者。研究過程で蒐集した知識をまとめていきます。紹介するのはたぶんほとんど文系分野。でも物理と大学数学も入門を書く予定。いつの日か。

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